被災地めぐりー北海道出発

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Japanese
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被災地めぐりー北海道出発
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2012年5月、当時北海道札幌市在住だった私は医師O氏の知人と彼の元職場の看護師2人と被災地を訪れた。 彼らは医療セミナー開催ということで釜石市平田仮設、陸前高田市小友町三日市仮設にて以前行った支援のフォローアップ。その後、 復旧の様子を知るために知人が震災直後JMATで活動した気仙沼市本吉地区を訪れ、 避難所となっていた気仙沼・本吉広域防災センター、気仙沼市字松崎浦田の松岩公民館を訪れるという計画であった。 「被災地巡り」の運転手となった看護師の一人は釧路市から朝早く出て、旭川市、空知(そらち)郡浦臼(うらうす)町で知人ともう一人の看護師を迎えに周り、最後に私を札幌でひろい苫小牧市のフェリーターミナルへ向かった。私たちは苫小牧—八戸間のフェリーで被災地へ乗り込んだ。  同乗者の3人は災後、被災地へ何度も訪れているため、震災14ヶ月後の被災地の復旧状況、仮設住宅の住民の心理状態がどのように変化しているかをいち早く確かめたい様子だった。私は自分の仕事で毎日インターネットを通して見る被災地の様子を生で感じるチャンスと心待ちにしていた。 苫小牧フェリーターミナルは乗船者でごったがえしていた。待ち人の中には私の生まれ故郷、青森で使われている津軽弁が飛び交い、東北へもう足を踏み入れたような気分になった。トラックの列には本州へ運ばれる牛たちの鳴き声が響いていた。 支援チームは私以外、全員医療関係者とあって人と接する事に慣れているのかすぐ打ち解けた。乗船後、北海道のコンビニ、セイコーマートで仕入れた夕食をフェリーのカフェのテーブルに広げ、彼らは震災直後の避難所の様子を話してくれた。 医師のO氏は地震直後、DMATとして旭川から花巻空港へ向かい被災地から搬送される被害者の治療にあたった。彼は地震当日被災地に向かう準備で忙しく当日、津波、火災の映像は2011年3月11日には見ていなかったそうだ。DMATの活動後初めて知った津波の様子は唖然とするものだったらしい。 阪神淡路大震災の際も医療支援に入ったことのある彼は旭川市でも長い間揺れた3.11の地震を経験し、岩手県に親類がいることもあって「とにかく、災害緊急支援のために被災地に向かわなければいけない」という心理状態だったそうだ。救急車を運転し、自衛隊と合流し対岸の青森に向かった。 釧路から夜も明けない内から運転を続けていた看護師に気遣い「被災地巡り、二日目に備えて」各個室に戻った。 私は興奮気味で一睡もできなかった。持参した被災地関係の本を読み終わった後、その時までコンピューターを通して見た被災地を思い浮かべ、被災者とどう接するべきかという思いが頭の中を回り、朝を迎えた。(つづく)
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