東日本大震災の医療支援活動に参加して

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執筆者 鎌塚晴美:投稿者 Koko Howell
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執筆者 鎌塚晴美:投稿者 Koko Howell
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Japanese
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Japanese Title
東日本大震災の医療支援活動に参加して
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北海道浦臼(うらうす)町 鎌塚晴美さんの東日本大震災「心のケア」支援活動報告を彼女の代理として投稿いたします。 ********** 東日本大震災の医療支援活動に参加して 「東北大震災の医療支援に空知中央病院も行く事になった。これから慢性期の医療になってくるので、慢性期の看護に関わってきた鎌塚さんに心のケアは適任」とのO医師の熱い殺し文句と、北海道医師会への登録を急いでいる様子だったので、旅先であったが夫に相談もせず「いいですよ」と返事をした。  四月三十日午前八時三十分、病院の救急車に乗り込み、夫と姑に見送られ被災地へと向かった。 三月末に退職し、今度は福祉の場で自分を試してみたいと考えていた。今の私に何が出来るのか。看護師としての自分を試すチャンスにしたいと思った。  函館から青森へと三十七年振りにしょっぱい河を渡った。夜中0 時五分、岩手県一関市のホテルに到着した。一週間分の食料を部屋に運び「集合は五時五十分玄関前、ひとまず寝よう」とそれぞれの部屋へ分れた。  初日の朝、引継ぎ先の札幌北楡病院の先導で現地に向かった、一関市の外れにさしかかった頃、新緑の中今を盛りと桜、こぶし、椿の花々が満開で一瞬私のふるさと天草を想った。自然はいつもと変わらず何もなかったかのように豊かに静かにめぐっていた。七時過ぎ宮城県気仙沼市の活動本部に着き、北楡病院の車へ乗り込み担当地区の確認と引継ぎを受けるため被災地へと向かった。車窓からの無残な光景に、胸がはちきれんばかりにどよめき目頭が熱くなった。テレビで見ていたが、現実は予想以上に生々しい。 主要道路は整備されていたが、両側に続く瓦磯の山。引継ぎに集中出来ず車窓からの変わりゆく光景に心を奪われてしまった。家の基礎だけが点在し集落があったことを物語っていた。電柱が折れ電線がむきだしになっている。担当する避難所聞の道幅は狭く移動にも時間がかかった。  医療支援中に関わった避難所は九か所だった。学校、公民館、コミュニティセンター、多目的集会所、交流促進センター、防災センター、病院など。私達が活動した避難所では、全体的に日中は片付け作業に出かけている人が多く、子供と高齢者と奥さん達で寝たきりの方は少なかった。また連休の前に二週間分の薬が出されたようで受診者も少なかった。  私の活動の目的は「心のケア被災者の方達に寄り添いたい」だったので医師と相談して積極的に避難所内を巡廻した。バイタルを採りながら話を聞く。「 黒い大きな波が押し寄せてきた」こと、「家が、近所の人が目の前で津波に飲みこまれていった様など」を語る傍で、 私は手を握ったり、抱きしめたりした。ライフラインの現状は電気と電話以外避難所ごとで違った。上下水道は殆どが使用出来なかった。病院勤務中感染症予防の為、手洗いを重視していただけに気になった。いたる所に手指消毒液があった。診察にみえたおばあさんの手荒がひどいので声をかけると付き添っていた息子さんが「皮膚病だと思っていました。便秘でトイレに何回も行くのです」トイレの入口に便は新聞紙に包んで箱に入れてくださいと張り紙している所もあった。 私達の支援活動中感染症はなかったが、環境的にいつ発病してもおかしくない現状だった。それだけに医療支援チームも本部での朝夕のミーティングで徹底した指導、打ち合わせをし、各支援チームが担当地区を守った事を感じた。  住環境も避難所ごとに違った。布団を敷く範囲が一人分。衣類とかの荷物で仕切りをつけたり、支援物資の空箱を崩したり、椅子を並べたりしてあるものを利用しての間仕切りだった。家族単位、男女別、子供向士と避難所の大きさ、間取りによっても利用の仕方は様々だった。消灯が九時。余震とか物音で眠りは浅い様子だった。便秘の人も多かった。更衣室、仮設風呂、洗濯機、炊き出しボランテアの有無等は避難所により差があった。  私は支援に行くと決めてから被災者の方達との関わり方を考えた。一緒に歌おうとか、足の爪を切らせて貰いながら話を聴こうとか。フットケアの道具、カラオケの本、童謡集、ハモニカ、柴田トヨさんの詩集など持ったが、まだそれらの使用までいかなかった。  支援最後の日、次のチームへの引き継ぎで避難所を回っていたら、「鎌塚さん昨日はとっても嬉しかった」と抱き着いてきた。ひとりで震災にあったという同じ年の女性だった。話を傾聴し、「いつでも連絡して」と私の住所と電話番号を教えた。「北海道にも来てよ、泊まる所はあるし待ってるわよ」と抱きしめた。又駐車場では、隣に停まっていた風呂行きのマイクロバスの中から窓を開け「もう帰るの・・・」と声をかけてもらった。昨日「看護婦さんの笑顔がいいね」と言った男性だった。I 医師が「こんな事言ってもらえるのはいいことだよ」と私に囁いた。  一週間の支援活動の体験から、これを契機に看護師として又女性の立場からもっと役に立てるよう災害時の看護や、専門的な心のケアの勉強をしたいと考えながら帰路についた。(了) ********** <活動期間> 平成23年4月30日午前8時30分より平成23年5月8日零時まで <気仙沼市での活動場所> 旧津谷川小学校 小泉中学校 大谷小学校 浜多目的集会所 松岩公民館 本吉病院 室根交流促進センター 本吉・寺谷(てらがい)コミュニティーセンター 松岩防災センター <備考> かっこ内はKoko Howell が補足した部分。 活動期間と活動場所は 平成23年7月鎌塚晴美さんに電話インタビューして付け加えた。
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