昨年の今日のこと

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Geolocation
35.751, 139.348
Latitude
35.751
Longitude
139.348
Location
35.751,139.348
Media Creator Username
Takeshi Matsui
Media Creator Realname
Takeshi Matsui
Language
Japanese
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Japanese Title
昨年の今日のこと
Japanese Description
昨年の今日は、サンフランシスコから帰国する日でした。 たしか午後3時ぐらいに成田空港に着陸する予定でした。しかし成田上空に着いたようなのにいつまでたっても着陸しません。ぼくを含めた乗客たちが不審に思い始めたところ、「成田空港の職員が避難したので着陸できない。ダウンタウントーキョーの空港に着陸する」とパイロットがアナウンスします。たぶん千葉で大きな地震があったのだろう、羽田に降りるんだな、とぼんやりと呑気に考えていたら、しばらくたって「米軍の横田基地に着陸する」とパイロットが再びアナウンスしました。大きな地震があったこと、津波の被害が出たことも、その時に説明してくれたと思います。実感がないまま乗客がどよめく中、ぼく考えていたのは「横田基地ってどこだっけ?すごく昔に1回だけ行ったことあるけど、ずいぶん遠いよな」とのんびりしたものでした。見慣れない光景の滑走路にするりと着陸して駐機したのちに窓から見えたのは、米系エアラインの数々の飛行機でした。その時は、できるならば乗りたくないユナイテッドに乗っていたのですが、できるならば乗りたくないデルタやアメリカン航空の機材がずらっと並んでいました。おそらく4〜5時間は閉じ込められていたと思います。みな携帯電話で電話をかけようとしますが繋がりません。尋常ならざる状況であることを、だんだんとわれわれは理解していきます。ぼくも北海道の両親に連絡を取ろうとしましたが、ずいぶんと時間がかかりました。むしろツイッタの方が状況把握の上では明らかに役に立ちました(とくに就活で都内に出ていたゼミの学生の安否が)。ようやく電話が繋がると母に「あんたどこにいるの?」と言われました。実にまっとうな質問です。日本に着いたけど、横田基地にいる、妻はまだサンフランシスコで仕事をしているから大丈夫、とかなり奇妙な説明だったと思います。まずは両親の安否を確認できたにしても、いったい何が起こってるか知りたくて、iPhoneをいじり続けます。しかしバッテリーがもちません。でも充電用のコードは手荷物にありません。できるならば乗りたくないユナイテッドで偶然にも乗り合わせた多くの乗客たちも同じ状況にあります。iPhoneユーザーが多いのです。そこでコードを持っている人から借りて、順番にトイレのコンセントを使って充電をしました。助け合いとか名付けるまでもないアメリカ人が息をするかのように普通にするお互い様の親切のよくある光景でした。そうした中でフライトアテンダントは、フレンドリーに笑顔いっぱいに、ぱさぱさのクラッカーを配ってくれます。目測でいつも40%は粉々になっている意味で安定的なユナイテッドのクラッカーはそのぱさぱさ具合では他の追随を許さないクオリティですから、できるならば食べたくありません。でもその前向きの笑顔が持つ無駄な迫力により、そのぱさぱさなクラッカーを受け取らざるを得ません。口内をぱさぱさにさせて予測可能な後悔している中で考えていたのは「横田基地から国立までたどり着けることができたら研究室で泊まることができるな」というものでした。ぼくが勤める大学は大まかに言って横田基地と自宅の中間地点にあるのです。ツイッタによれば自宅に帰ることができず研究室に留まっている人がいたので、それが現実的なプランだと思ったのです。しかしこれはまったくもって現実的なプランではありませんでした。そもそも横田基地では入国審査を多数のエアラインの多数の乗客に施すことなど無理なようなのです。それが明らかになったのは、パイロットが言う「関空に向かいます」という実に明快なアナウンスでした。横田基地では燃料を補給していたようです。まあわれわれは皆驚くわけですが、どうにもなりません。隣に座っていたしわくちゃのちっちゃいお婆ちゃんに「大丈夫か」とおまえが言うか的な質問を投げかけますが、この台湾に向かう途にあるご婦人は、あたかも「ときにはこんなこともあるよ」といった体でまったく動じた様子はありません。 関空に着いたのはほとんど夜中です。地上スタッフは、混乱して不機嫌な乗客への対応で大わらわでした。関空には行き場を失った多くの人々がいました。そのまま空港で一晩過ごす人も少なくないようでした。スタッフから大阪市内で泊まることができるホテルの一覧の紙をもらったので、リムジンバスで梅田に向かいました。リムジンバスが停車する梅田のホテルで泊まることができるか聞いてみると、満室との答えがもちろん返ってきます。リストにあるホテルに片っ端から電話をかけても、どこも満室でした。大阪出張から東京に帰られない人々もたくさん滞留していたようなのです。これは困りました。ベッドで寝たい。ではどうするか。思い出したのは、その前の月の大阪出張で泊まった淀屋橋のビジネスホテルです。ビジネスホテルなんだけど、必要にして十分な清潔なホテルです。ビジネス街である淀屋橋に立地するそのホテルは、夜はビジネス街的な静寂に包まれるナイスなホテルです。試しに電話をしたら空き室がありました。ベッドは確保しました。次に解決すべきは空腹です。あまり土地勘のない夜中の梅田でご飯を食べるのはあまり簡単なことではありませんでした。意外と営業している店があまりありません。スーツケースをごろごろさせて行き着いたのは、がんこ寿司梅田本店でした。聞いてみると、各テーブルにコンセントがあって充電ができるとのこと。これはいい、と思いお店に入り食事を注文します。周りには愉快に飲み食いするお客さんがいます。iPhoneで得られた情報の深刻さとは対照的に、(物理的にも)明るく、温かい良き雰囲気でした。その後、日本を覆う深刻な空気はまだこの時点ではがんこ寿司梅田本店には及んでいないのでした。それがその時のその場での現実だったのだと思います。 ご飯を食べ終えたので、ホテルに向かいました。荷物も多いし地下鉄もやってなさそうだったのでタクシーを捕まえようとしました。しかし梅田から淀屋橋は実に短距離でタクシードライバーにとってうまみはありません。何回か断られたところ、ようやっとタクシーに乗ることができました。代金にして800円くらいだったと思います。静寂に積まれた淀屋橋に到着して、荷物を下ろしてもらった後、ことの成り行きを説明しました。こんな状況で本当に本当に助かった、たいしたものではないがお釣りは気持ちとして受け取ってほしい、とお礼を言いました。するとそのドライバーは、「そんなドライバーばかりで大変失礼致しました」と丁寧に謝るのです。そんなこと、もちろん彼の責任ではありません。 昨年の今日についてぼくが一番印象に残っているのは、真夜中の淀屋橋にぼくを届けてくれたこのドライバーです。記憶というものは、とりわけぼくの記憶というものは実に怪しいものなので、備忘録をしたためました。
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