東北の被災地と新潟をつなぐ活動から | 日本災害看護学会

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2011年3月11日、その日の夜は家族の安否を確認することができないまま、新潟から東北に向かって、停電して信号機さえ点灯していない吹雪の道を,ただひたすらに自家用車を走らせたことが、今も鮮明に思い出されます。その後、家族の安否を確認することができ、3月17日までは日本災害看護学会先遣隊として、その後はボランティアとして被災地内外で活動しています。.新潟県内の看護系大学などから成る新潟県大学災害支援連携協議会(会長:新潟大学医学部保健学科・青木萩子教授)では、福島県からの避難者を受け入れた市町の保健師に協力して、避難者への健康支援を行いました。このネットワークは今回の経験を踏まえて,さらに機動性のあるネットワークとして、今後再構築されるものと期待されます。 2011年11月現在、震災から8カ月がたって、3月11日からずっと気掛かりであった福島の看護職仲間の安否をようやく確認することができました。「まだまだ大変な人がいるのだから自分は良い方」と、飯舘村の住民を心配する福島の看護職者の体験や状況を皆さまにお伝えします。
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東北の被災地と新潟をつなぐ活動から | 日本災害看護学会
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2011年3月11日、その日の夜は家族の安否を確認することができないまま、新潟から東北に向かって、停電して信号機さえ点灯していない吹雪の道を,ただひたすらに自家用車を走らせたことが、今も鮮明に思い出されます。その後、家族の安否を確認することができ、3月17日までは日本災害看護学会先遣隊として、その後はボランティアとして被災地内外で活動しています。.新潟県内の看護系大学などから成る新潟県大学災害支援連携協議会(会長:新潟大学医学部保健学科・青木萩子教授)では、福島県からの避難者を受け入れた市町の保健師に協力して、避難者への健康支援を行いました。このネットワークは今回の経験を踏まえて,さらに機動性のあるネットワークとして、今後再構築されるものと期待されます。 2011年11月現在、震災から8カ月がたって、3月11日からずっと気掛かりであった福島の看護職仲間の安否をようやく確認することができました。「まだまだ大変な人がいるのだから自分は良い方」と、飯舘村の住民を心配する福島の看護職者の体験や状況を皆さまにお伝えします。
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