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35.661, 139.585
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35.661,139.585
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MK
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MK
Language
Japanese
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Japanese Title
帰宅困難体験
Japanese Description
放課後オーケストラ部の練習中、3階の教室でバイオリンを弾いているときに地震が起こりました。立っていましたが、揺れは大きくなり机の中に身を隠しました。机の脚につかまらなければ机が倒れてしまいそうなほど揺れは大きく、恐怖でいっぱいでした。校庭に避難し点呼をとり、先生は生徒の安全を確認していました。私は地震の揺れの大きさにショックでしばらく言葉が出てきませんでした。
私の中学校は調布市仙川町。通学にはバスと電車を使っていました。歩いて帰宅できる人以外、学年別にホールや教室に移動し、とりあえず待機をしました。いつ帰れるのか。家族は安全か。そして今日本で何が起きたのかはっきりしないまま、不安な時間が過ぎていきました。携帯電話は繋がらず、公衆電話に長い列ができました。父の携帯から私の携帯に着信があり、安全を確認できました。携帯会社によって繋がりやすさが異なり、会社で契約している父だけ私と母とは別の携帯会社だったため、連絡を取ることが出来たのだと思います。自宅には公衆電話から電話をし、母と弟の安全を確認することができました。避難食の水と栄養クッキーが支給されましたが、クッキーはとても完食できるようなものではなく、後に学校が避難食について見直すこととなりました。待機場所では映画がながれていましたが、この後どうなるのかという不安で見る気持ちにもなりません。職員室にしかテレビがないため、全く情報を得る手段がありませんでした。生徒は親が迎えに来るか、徒歩で帰宅できる距離に住んでいる人以外、帰宅は許可されませんでした。
午後8時過ぎ。同じ地区に住んでいる友達家族が車で迎えに来るということで、一緒に送ってもらえることになりました。いつもは車で30分かかるところ、1時間~1時間半かけて帰宅したことを覚えています。世田谷区千歳台の246通りは大渋滞でなかなか車が進みません。とにかく、車に友達家族と一緒に乗って、やっと帰宅できるという安心を感じました。夜10時頃、ようやく家に着きました。地震が起きたとき母と弟は家の中いました。父は自転車通勤のため帰宅困難にはならず。私は帰宅困難者でした。
学校に残った友達によると、教室で新聞紙や非常用防寒シートにくるみ一夜を過ごしてから帰宅した人もいました。
この震災をきっかけに1クラス1個防災用品ロッカーが設置されました。
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