Translation Approval
Off
Media Type
Layer Type
Archive
Urayasu Disaster Archive
Geolocation
35.660891, 139.892043
Latitude
35.660891
Longitude
139.892043
Location
35.660891,139.892043
Media Creator Username
浦安市
Media Creator Realname
浦安市
Frequency
Archive Once
Scope
One Page
Internet Archive Status
Not Submitted
Language
Japanese
Media Date Create
Retweet
Off
Japanese Title
浦安市堀江在住 60代男性 震災体験談(震災発生翌日~現在)
Japanese Description
●水を備蓄していたので不便はあまりなかった:震災の翌朝は、帰宅して食事をしていつものように床に就きました。夜間勤務がまだ続く予定でしたから、部屋の片づけやなんかは休みの日にやることにしていました。水がしばらく止まっていましたけど、マンション1階にある水道がちょろちょろと出ていてくれて、それを汲みに行ったこともありました。でも、いざという時のために飲料水とトイレの排水用の水を備蓄していましたから、あまり水で苦労したということはないですね。●震災後はガソリンの確保に苦労した:食事はいつも自炊でしたが、米を炊くなどはしないで電子レンジで調理できるような簡単なものを食べていましたよね。缶詰やレトルト食品は重宝しますよね。むしろ私はバイクを毎日使っていたので給油にはシビアでした。あれはいつだったか……夜勤が終わるかという時間に、職場近くのスタンドにタンクローリーが入っているという情報が入って。帰りにスタンドに寄ったら40分くらい待ちましたが満タンに入れられました。あれ以来、バイクのガソリンが2/3くらいになると満タンまで入れるようにしています。●母の出身地が津波の被害に:私は出身が岩手の釜石でして、母親の実家の集落70戸くらいが津波で流されて。ニュースで釜石の映像を見たときは我が目を疑いましたね。小さい頃はあそこに住んでいて見覚えのある風景でしたから。親戚がひとり亡くなりました。ほかにも親戚がいますから、あるとき「果物が食べたい」というので缶詰を送ったこともありました。あれだけの被害ですから、親戚にどういう言葉をかけてあげたらいいのか……いまだに分からないですね。
ID at Source
コンテンツ番号 : UT00000118
Flagged for Internet Archive
Off
URI
http://urayasu-shinsai-archive.city.urayasu.lg.jp/item/?id=M2015062513104728038
Attribution URI
http://urayasu-shinsai-archive.city.urayasu.lg.jp/item/?id=M2015062513104728038
Thumbnail URL
http://urayasu-shinsai-archive.city.urayasu.lg.jp/infolib/cont/mst/G0000002UR/000/065/000065039_ls.jpg