朝9時ごろに東京駅から新幹線で仙台へ。

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朝9時ごろに東京駅から新幹線で仙台へ。 早朝だからか、下り線のホームで待っている人は少なかった。 昼前に仙台駅に到着。
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38.2938, 141.004
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Takamasa Nunogaki
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Japanese
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朝9時ごろに東京駅から新幹線で仙台へ。
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朝9時ごろに東京駅から新幹線で仙台へ。 早朝だからか、下り線のホームで待っている人は少なかった。 昼前に仙台駅に到着。 震災から5カ月経った仙台駅周辺は特にこれといった異常はなく、何事もなかったかのように多くの人で賑わっていた。 少しの間仙台駅周辺を見て回った後、仙石線に乗って多賀城・仙台港を目指した。 多賀城駅は地震のせいか、ホームの改修工事の途中で、駅周辺に人影は少なかった。駅から仙台港までは少し遠いウォーキングだったが、途中で震災の“傷跡”をいくつか見て取れた。いくつかの建物は、津波の被害をそのまま見せてくれた。「いくつか」というのはおそらく、優先順位から弾かれたものが残っているからと思われる。また大通り以外の信号機も所々壊れたままで、警察官が旗と笛で車を誘導しているのを見かけた。「どうぞ」と横断の合図をされた時は思わず頭が下がった。 港に近づくとそこには市街部とは違う惨状が広がっていた。 おそらく津波からもたらされた残留海水の発する腐臭があたりを包む。魚の死骸も見かけた。港に山積みされた瓦礫の山々。復旧の見込みのなさそうな工場群。道脇に並んでいるフェンスや電柱も津波によってなぎ倒されたままだった。ところどろこに見られた作業員たちは、瓦礫の山々と無残に取り残された工場群に苦戦しているようだった。 震災から5カ月でこれほどの復興を遂げる国民の力は、まだ日本人が底力を持っているという証明だと思う。他方面にもこのベクトルを向けることができれば、日本は震災前よりもより良い国に生まれ変われるかもしれないと感じた。
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