地震発生時は

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地震発生時は、親子カフェにいました。(親子カフェとは、赤ちゃんとママのためのカフェ)そこで、スタッフとしてボランティアをしていました。  
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Japanese
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地震発生時は
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 地震発生時は、親子カフェにいました。(親子カフェとは、赤ちゃんとママのためのカフェ)そこで、スタッフとしてボランティアをしていました。  木造の1階にいて、経験したことのない横揺れがひどく、まずお客である親子の安全確保のために、机の下にもぐるよう指示。  そして、ラジオをつけると、津波警戒を叫んでいました。もう一人のスタッフが、地震発生地の出身者で、ご家族のことが心配で、気が動転しているようでした。  発生が14寺45分頃。私は15時までの勤務でした。プレスクールに預けている息子を迎えに行かねばなりません。電車で一駅のところに車を止めていたので、そこへ向かおうとしたところ、電車は止まっていたので、バスで行くことに。本当に幸いなことに、バスもすぐ来て、まだ道も混んでいなかったので、16時お迎えに予定通り間に合いました。向かう途中、もしかして、小学生の子どもも、お迎えかも、と思いましたが、緊急連絡メールが入っていませんでした。たまたま、プレスクールと小学校が近かったので、迎えに行き、引き取りました。それが16時半。その頃、ようやく小学校からの緊急連絡メールが受信できました。  大通りに向かうと、大変な混雑だったので、裏道を通りました。まだ、そんなに渋滞していませんでしたが、車にラジオがついていたので、それを聞きながら、大きな余震が来たら、車を停めながら、家へ向かいました。通常だと30分のところ、1時間半かかりました。  高齢の両親が気になったので、帰宅せずにそのまま、両親宅へ直行。二人とも無事で、ほっとしました。  そこで、テレビをみて、事の大きさに驚きました。 そして、都内の学校や保育園は、子どもを親が引き取らなくてはならなくなっているのに、親が電車が動いていないから迎えにいけない という状況になっていました。しかし、依然として携帯電話、携帯メールは通じず、子どもが保育園に行っているママ友達が心配でした。小学校には数十名泊まったようです。  主人は、その頃、歩いて帰宅を試みていました。結局帰宅したのは午前2時でした。  両親宅で、津波の風景を何度も見てしまった子どもは、それから2か月くらい、地震と津波におびえて、精神的におかしかったです。NYテロのとき、子どもに映像を見せるなと言われていたのを思い出して、帰宅後は見せませんでしたが、長い間、ひきづっていました。  しかし、震災当日だけで、被害は終わっていないことを、私は知らず、5日間くらい普通に過ごしてしまいました。原発が大変なことになっていることを 知りませんでした。ちゃんと情報を得ている人は、すでに東京からも避難を始めていたのです。それだけは、今も、大変後悔していることです。原発が理由ではなく、子どもの精神安定のために4月初めまで3週間近く関西へ疎開しており、そこで、原発事故の恐ろしさを知りました。  震災、原発、によって、生活は大きく変わってしまいました。物的なことも、人間関係も。  まだまだ消化されていないことが、たくさんあるのです。
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