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地震発生時、平炉工場一階にいた。立って居られない程の揺れであったが、かろうじて踏ん張った。
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Geolocation
38.4189, 141.25
Latitude
38.4189
Longitude
141.25
Location
38.4189,141.25
Media Creator Username
Anonymous
Media Creator Realname
堀井正明
Language
Japanese
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Japanese Title
地震発生時
Japanese Description
地震発生時、平炉工場一階にいた。立って居られない程の揺れであったが、かろうじて踏ん張った。なかなか収まらない長い地震であった。平炉外周のレンガが崩れてこなかったのが幸いであった。(建屋内に居たため、防災無線が聞こえず大津波が来ることがわからなかった)
地震発生後、工場責任者(工場長、課長、係長)3人が残り、重油タンク、ガスボンベ等のバルブを確認後、帰ろうと車で会社を出た所、先に出た係長が車で戻って来た。「津波が来た」。工場長と私は、係長の後について原料サイロの上に駆け上がった。防災無線が鳴った。第一波の津波が平炉工場を挟んで涙のようにゆっくりと流れて来た。メイン通路からサイロ近くに置いた車へ津波が流れて来た。車が浮いて前に置いてある係長の車を追越し、プカプカと流れて行くのを見届けた。徐々に水かさが増し、建屋一階ぐらいまで水没。引き波時渦が巻く。防災無線が再度鳴る。「第二波到来」。第二波の勢いは強く工場内に置いてあったフレコン、パレット、タンクが次々と勢いよく流されて行く。工場内メイン通路を見ると、技術のプレハブの建屋が流されて行く。水深は高さにして約4m水没した。平炉工場からは水蒸気の煙がもんもんと吹き上がってる。汽笛が聴こえる。造船所から流れたタンカーが自力で戻ろうとしている。地震が間欠的にくる。雪もしんしんと降り続く。なかなか水が引かない。辺りはだんだんと暗くなりとにかく寒い。工場長が聞いて来た。「暗くなると移動が困難となる。寒くて耐えられない。(ここに居ると凍死のみ)。平炉工場に移動するか、どうする?」私は言った、「平炉に行く」と、電気ラックを綱渡りのように渡り、ベルトコンベアのメンテ通路を渡り平炉工場へ。中はむし暑く、真っ暗、入口で工場長が待って居てくれた。徐々に目が慣れてくる。平炉は二階建て総レンガ作り。地震発生時約1500℃で稼動していたが地震インターロックにより緊急停止、構造上なかなか冷えないため予熱を保持し暖かい。計器室から懐中電灯、ラジオを探し 状況が一体どうなっているのか耳を傾けた。携帯で酒田の本社へ連絡をとろうとしたが繋がらない。ワンセグでテレビを見たかったが、充電がきれるのを避けるため、電源を切る。長い、長い夜が始まった。暫らくたって建屋の天井のスレート越しに頭上を低空で飛ぶヘリコプターのサーチライトの灯りが見えた。何回も行ったり来たりしていた。ただただ呆然とながめ、寒いので平炉のレンガに寄り添って一夜を過ごした。その夜、係長に聞いた。「津波が来たのがどうしてわかったのですか?」係長いわく、「猛スピードで逆走して来る車があって、遠くを見ると、白い泡が見えた。津波が来たのがわかった」。工場長は自転車、私は車、「あの時帰っていたら死んでいたのかなあ」という話しをした。朝6時、係長が長靴を探して持って来てくれていた。計器室のポットにあったお湯でコーヒーも作ってくれていた。美味しかった。工場の敷地は分厚いドス黒い泥と対岸の製材会社から流れてきた大量の木材だらけ。長靴を履いた足元を泥にとられながら、足元確認のため、流れて来た木材を杖がわりに係長と一緒に家路に向かう。私は工場の近くの借家に住んでおり家を探した。なにも無い。辺り一面何も無い。まるで爆弾が落ちたような状況であった。側にある海上保安庁の建屋で休息をお願いし、係長と別れた。住む所が消滅したので、とりあえず会社に戻る。事務所の二階は水没をまぬがれ無事であった。飲み物が入ってある冷蔵庫もある。午後から周辺が一体どうなっているのか、探索を始めた。工場から出た国道の道脇は被災した大量の車があった。また道脇の運河には多数の車が水没していた。周りの一階が水没している家からは、二階から「たすけて、たすけて」と言う叫び声がそこらじゅうから聞こえた。1kmほど歩くと津波の影響がまるで無く、まるで別世界であった。避難所を探した。老人福祉施設が避難所となっていたが、「毛布、水、食料は自分で持って来て下さい」と言われ、避難しても仕方がないと判断、会社の事務所に戻る事にした。戻ると事務所の二階は盗賊に荒らされていた。冷蔵庫にあった飲み物は盗まれ、ラジオ、長靴、医療品、等盗まれた。「水無し、食べ物無し、毛布無し」。だけど腹も減らない。喉も乾かなかった。ストーブはあるが電気が無いと使えない。夜はとにかく寒かった。ただただたった1人で寒さに耐えた。夜中、ライトを照らして事務所荒らしと思われる2人連れの族が徘徊していた。「身の危険を感じ、緊張した」扉に鍵をかけ、側には護身用の流木を置いた。長い夜だった。日曜日の朝、「なんじゃこりゃー」という絶叫が聴こえ、目が覚めた。同僚が1人来た。現場から水、ヤッケを捜し出して持ってきてくれた。「これでカンバッテください」と、ありがたかった。元気がでた。頭が廻るようになった。反射式のストーブを捜すため、工場内をうろついた。誰もいない。世界でたった1人になったような気がした。工場の外に出た。上空にはヘリコプターが2基しかきていない。内1基は偵察か、救助に参加せずいなくなった。救助ヘリコプターが1基が水没した家から救出を行っている。(後で聞いた話しだが、津波直後ボランティアの方々が駆けつけボートを出してかなりの人を救けたそうである。それがなければ、かなりの人が凍死していただろう)。周りの一階が水没した家からは、二階から「たすけて、たすけて」と叫びが聴こえる。元気な叫びがあるせいか、救助はされずほっておかれていた。自衛隊が多勢入ってきたのは、14日の月曜日であった。
工場の外をうろつく。救難ヘリコプターが1基、水没した家から救難を行っていた。
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76
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