2020仙台ワークショップ課題

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Testimonial
Geolocation
38.630612, 141.1193048
Location(text)
宮城県
Latitude
38.630612
Longitude
141.1193048
Location
38.630612,141.1193048
Media Creator Username
Naoki Sakima
Media Creator Realname
Naoki Sakima
Frequency
Archive Once
Scope
One Page
Internet Archive Status
Not Submitted
To
From
Place of Residence
兵庫県神戸市
Year Of Birth
6/12
Occupation
学生
Media Date Create
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Japanese Title
2020仙台ワークショップ課題
Japanese Description
東北と私自身のつながりについて 2011年3月11日の記憶  神戸で生まれ育ったわたしは当時、9歳だった。その日は学校帰りに友達と近くの公園で遊ぶ約束をしていたのだが、母に「津波が来るから、外に出るな」と言われたので遊ぶのをやめて自宅のテレビをつけた。そのとき流れたニュースの映像にわたしは圧倒されてしまった。「東北の大地が海に襲われている」と、小学生ながらに感じた。生まれて初めてリアルタイムで起こっている「災害」を目の当たりにするとともに、「津波」の存在を知った。小学校で毎年、阪神・淡路大震災が発生した時期になると行われていた防災教育と重ね合わさって、改めて災害が恐ろしいものなのだと認識した。 ただ、小学生のわたしは、あまり被災地や被災者のことは深く考えなかった。日本中で「頑張ろう日本・頑張ろう東北!」と言われていたが、ただ他人事のように思っていたところもあった。  高校生活と東北訪問 兵庫県立舞子高校環境防災科に進学したわたしは、高校での三年間を通して4度東北の地を訪れた。これらの訪問が自分自身にとって大きな経験や学びとなった。  1年の夏休みの最初の東北訪問では、絶対に行かなくてはならないという使命感や自分の中で目標を立てるということもなく、ただ被災地の現在を知りたいという、なんとなくの気持ちで参加した。3日間の過密なスケジュールで、お話や講義、研修では被災地を知ることができたが、実際に被災地をこの目で見ても被災地の現状は、なんとなく分かりそうだけど分からない。この感覚は直感だったかも知れないが、2年の夏も同じままだった。  転機が訪れたのは2年の冬、3度目の訪問だった。毎年夏に参加している東北訪問とは違って時間に余裕があったため、ゆっくりと被災地の現状を見ることができた。夏の訪問の際にお世話になっている宮城県東松島市あおい地区の会長ともお話しする中で、このまちをもっと知りたいという気持ちを持つようになった。また、当時私達の活動をサポートしてくださった、大学教授がわたしに「防災ネーム」をくれた。これが私にとって東北で生きる意味となり、多くの「つながり」をつくるきっかけとなった。  4度目の3年の夏には、冬に築いた「つながり」を再確認する訪問になった。いままでの「なんとなく」の気持ちではなく、「あの人の住むあのまちに行きたい」という気持ちへと変化していた。わたしにとって東北の大地は特別な場所になっている。  防災を学び、行う人間として  阪神・淡路大震災の被災地である神戸に生きる人間として行うべきことは、震災の教訓を語り継ぎ・伝えることだと考えている。わたしは海外の人々に神戸の教訓を英語で伝える活動を行ってきた。もちろん、東日本大震災も同じだ。遠く離れた神戸でも伝えられることがある。風化させない、忘れないためにも、私の強みである英語も活用しながら、今後も発信者として多くの人に「震災の教訓」を伝え続けていきたい。
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