K.Bさん(70歳代)
小さな理容室にて ~過去はもどってこない~ 古い小さな理容室のドアを開けた。大きな道に面しているが、歩いていてもうっかりすると通りすぎてしまいそうになる、目立たないお店。私がドアを開けると、細くて背の低い女性が、いつものように笑顔で迎えてくれた。お化粧をしっかりしている。指された椅子に座る。今日は、ヘアカットと顔そり、マッサージをしに来た。 「差支えない範囲で、東日本大震災の経験や、この10年間のことをお話していただけませんか。」 「そんなに、話すこともないけどねぇ。」と言って、私の肩にタオルを巻き、髪をとかす。 「私はもうすぐ80歳。20歳で理容師になって、自分の店を持って50年、あっという間にここまできたわねぇ。無我夢中で生きてきました。あの日、お店にいて、大きな揺れに驚いて外に出ました。車で20分の家に帰り、2~3日後に店に戻ってみたら、津波の黒い泥が50センチも店の床に入っていたの。」 椅子の半分の高さを指さし、津波が来た痕を見せてくれた。「電動の椅子がダメになってしまった。」 「お店をやめようとは考えませんでしたか。」 「まったくそんなこと思わなかったわねぇ。早くお店を始めたくて、2か月後には再開しました。私の父が、理容師になることを勧めてくれました。男も女も関係なく手に職をつけなきゃだめだといって、理容学校に入れてくれました。1年間、仙台まで電車で通いました。子供の時から、なんとなく理容師になるものだと思っていました。高齢でお店に来られないお客様の自宅や施設に出張して、髪を切ったり顔を剃ったりもしています。自分で車を運転して行くんですよ。予約がけっこう入っています。震災で石巻を離れたお客様も、わざわざ遠くからきてくれて、ありがたいです。」
<p>「あの10年前の震災を思い出すことはありますか。」 「あんまりないわ。毎日忙しいから。過去のことは過去のこと。</p>親せきや知人が自宅に避難してきたので、ストーブで煮炊きをしたり、外に並んで食料も買ったけど、寒くて立っていられなかったことは覚えている。起こったことは、どうしようもないの。起きたことを考えても、もうしかたないんだから。これから、どうするかが大切だと思うよ。今、何ができるか。もう、過去は戻ってこないんだから。」 「そうなんですか。」 「一緒に住んでいる高校生の孫を学校に送っていったり、みんなの食事も作らなくちゃいけないから、お店の帰りに5人分の買い物もします。朝7時には家を出て、店に来ますよ。」 「大変ですねぇ。」 「ん・・大変だって思ったことはなくって、やらなくちゃと思っているからやるだけ。」 私は、床に置いてある小さな植木鉢の植物を見下ろした。 「お子さんは?」と初めて彼女から私に質問が向けられた。 「いません。」 それ以上、彼女は私には何も聞かない。 あらためて店内を眺める。黒のマジックで手書きされて、柱に貼ってある料金表。日焼けして紙が茶色になって、角がヒラヒラしている。整髪剤の瓶やスプレーの缶が、なんとなく古い。80歳とは思えないカラフルなズボンと靴下をはいている彼女。長い髪はきれいなパーマがかかって薄いブラウンに染めている。 この話を聞いている最中、震度5の地震があり、二人で外に出た。私は顔を剃ってもらっている最中だったので、顔の半分に泡がついている。店に入ってきた時からずっとついているテレビで速報が流れ、ここ石巻や東北沿岸に津波の心配がないとことだ。 「夫はガンで一年の闘病生活の後、20年前に亡くなりました。いろいろ支えてくれましたよ。病院に入院して、もうあまり食べられなくなったころ、私は店の仕事が終わったら、夫が好きだったごはんを作って持っていきました。」 「女性の自立というテーマに、関心ありますか?」 「あまり関心ないの、お店でこうして一人で働いて自分でお金を稼いで、人に気もつかわず自由に好きなように生きている気がする。国会とかで、女性議員が少ないとかなんとか言っているけど、私自身では女性として不平等とか感じたことがないの。」 「何か未来の女性達にメッセージはありませんか?」 「趣味は大事ね。私は日本舞踊をずっとやっています。足腰がまだ丈夫だから、動けるし、楽しいです。前は、自分でもちょっと生徒さん達に教えていたの。」 「将来の夢は何ですか?」 「夢ねぇ?」しばし考えている。 「まずは健康に気をつけることね。まずは自分がしっかりとしていなくちゃ。歯も丈夫。入れ歯は一本もないの。塩で歯茎をきたえているから。じっと考えてばかりいる時間が多いと、あまりいい事はない。忙しくしていた方がいい。車で通っているけど、あと2年後に免許の更新するまで目や耳が大丈夫か、それだけが気がかり。だって高校生の孫の送り迎えをしたいから。」 髪もさっぱりと切ってもらってお礼を言うと 「お似合いよ!」と満面の笑顔が返ってきた。 以上