船越の隣の集落は名振(なぶり)地区。おめつきのふるさとです。すっかり土台だけとなっており改めて津波の威力を痛感しました。人々は高台の避難所から名振の仮設や石巻方面で暮らしているようです。 Submitted by KahokuShimpo on Sun, 12/06/2020 - 16:12 Read more about 船越の隣の集落は名振(なぶり)地区。おめつきのふるさとです。すっかり土台だけとなっており改めて津波の威力を痛感しました。人々は高台の避難所から名振の仮設や石巻方面で暮らしているようです。
船越の高台から漁村、4カ月経過の雨です。なんとなく雨でますます悲しくなりました。 Submitted by KahokuShimpo on Sun, 12/06/2020 - 16:12 Read more about 船越の高台から漁村、4カ月経過の雨です。なんとなく雨でますます悲しくなりました。
船越の高台から漁村、3カ月経過ですがまだまだ瓦礫も多数、一部で土台だけになってきました。漁船はありませんでした。 Submitted by KahokuShimpo on Sun, 12/06/2020 - 16:12 Read more about 船越の高台から漁村、3カ月経過ですがまだまだ瓦礫も多数、一部で土台だけになってきました。漁船はありませんでした。
船越湾を一望する天王山から3カ月経過、船もほとんどなく、家屋もまばら、土台だけの家屋が増えました。 Submitted by KahokuShimpo on Sun, 12/06/2020 - 16:12 Read more about 船越湾を一望する天王山から3カ月経過、船もほとんどなく、家屋もまばら、土台だけの家屋が増えました。
天王山からの風景も様変わり、だんだんと土台、更地だけになる船越漁港。遠くの八景島は変わらずに船越を見守ってました。 Submitted by KahokuShimpo on Sun, 12/06/2020 - 16:12 Read more about 天王山からの風景も様変わり、だんだんと土台、更地だけになる船越漁港。遠くの八景島は変わらずに船越を見守ってました。
震災から3カ月経過の雄勝小学校、校舎後方の多数の大木も枯れ、校庭には無残が大型バスがそのままでした Submitted by KahokuShimpo on Sun, 12/06/2020 - 16:12 Read more about 震災から3カ月経過の雄勝小学校、校舎後方の多数の大木も枯れ、校庭には無残が大型バスがそのままでした
石巻から女川の避難所(女川原発内)への走行中です、子供たちが避難したかとても心配になりました。場所は不明で石巻(牡鹿町)か女川町だったかも。沿岸部走行中でした。 Submitted by KahokuShimpo on Sun, 12/06/2020 - 16:12 Read more about 石巻から女川の避難所(女川原発内)への走行中です、子供たちが避難したかとても心配になりました。場所は不明で石巻(牡鹿町)か女川町だったかも。沿岸部走行中でした。
石巻から女川の避難所(女川原発内)への走行中です、巨大な漁船に圧倒されました。場所は不明で石巻(牡鹿町)か女川町だったかも。沿岸部走行中でした。 Submitted by KahokuShimpo on Sun, 12/06/2020 - 16:12 Read more about 石巻から女川の避難所(女川原発内)への走行中です、巨大な漁船に圧倒されました。場所は不明で石巻(牡鹿町)か女川町だったかも。沿岸部走行中でした。
雄勝町船越地区の高台から船越湾を一望。2カ月経過も船越の気色は同じ、復旧なんて夢の夢と感じました。いったい船越はどうなるのだろうか?と不安だらけの時でした。船越湾には船、船外機もなく漁師町が漁業の町、船越がどうなるのか?まったく先が見えない時期でした。 Submitted by KahokuShimpo on Sun, 12/06/2020 - 16:12 Read more about 雄勝町船越地区の高台から船越湾を一望。2カ月経過も船越の気色は同じ、復旧なんて夢の夢と感じました。いったい船越はどうなるのだろうか?と不安だらけの時でした。船越湾には船、船外機もなく漁師町が漁業の町、船越がどうなるのか?まったく先が見えない時期でした。
雄勝町船越地区の高台から船越湾を一望。1カ月半を経過した50日あたりで、ようやく民家の2階にあがった家が撤去されました。皆さんはまだ、大須小学校の避難所や親戚宅にいるようです。瓦礫も少しだけ撤去されてきました。 Submitted by KahokuShimpo on Sun, 12/06/2020 - 16:12 Read more about 雄勝町船越地区の高台から船越湾を一望。1カ月半を経過した50日あたりで、ようやく民家の2階にあがった家が撤去されました。皆さんはまだ、大須小学校の避難所や親戚宅にいるようです。瓦礫も少しだけ撤去されてきました。