6代目の想い。会社を残したい

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国内では大きいサバしか売れないので、輸出されて日本人以外の胃袋におさまる方が多いはず。小さくても、十分食べられるんですよ。
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Tokyo Foudation
Geolocation
38.4344802, 141.3029167
Location(text)
宮城県石巻市
Latitude
38.4344802
Longitude
141.3029167
Location
38.4344802,141.3029167
Media Creator Username
Interviewee: 三国知彦さん, Interviewer: 飯田雅子
Language
Japanese
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Japanese Title
6代目の想い。会社を残したい
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石巻にUターン

名前は三国知彦(みくにともひこ)。昭和49年1月8日生まれです。今回の震災で社長だった父が亡くなったので、いまは自分が三国商店の6代目です。

先祖代々渡波(わたのは)地区に住んでいて、こうした魚関係の仕事は明治時代からやっています。株式会社にしたのは昭和22年です。3年くらい前に結婚して今の東松島市に移るまでは、渡波の実家に住んでいました。会社も渡波地区の方にありました。

大学は東京水産大学に入りました。今は名前が変わって東京海洋大学です。学生の間は横浜の鶴見に、勤めてからは埼玉県越谷や練馬に住んでいました。卒業してからは宝幸水産という会社に就職して、そこでちょうど3年働きました。

いずれ家業を継ぐとは思っていましたが、就職した当時は経験なり人脈を考えて最低でも10年と考えていたんですけれど、考えていたよりもずっと早く戻ってきました。戻った理由は、水産業が石巻も全体的に停滞していた時期でうちの会社もなかなか新しいことにとりかかれないので、父親ひとりの考えだけではこの先厳しいなと思って。あと5年経つと手遅れということも考えられるので、会社を存続させるためには早く戻っていろいろ新しいことやったほうがいいだろうと思い、11年くらい前に戻ってきました。

家業を継ぐ

実家の今までのやり方が古いと一番感じたことは機械化されていないことですね。最初の投資という部分では金額が張るんですけど。技術の進歩のおかげで、昔は人がやっていたことも今は機械でやれることがあります。そういった機械化が一番遅れているなって思いましたね。他の会社から比べればまだまだ遅れているものの、僕が戻ってから機械化はけっこう進めていました。それと販売先の新規開拓ってところですか。営業なんかも、従来通りっていうのがありがちで。その辺も刺激があった方がいいかなと思って、石巻に戻ることを考えました。

たとえば40年前はサンマの大きさを選別するのに、人が並んでいるところにサンマを流すんですよ。大きい、小さい、中くらいとか、人が見た目で分けていくんですよね。機械で測れるようになったのは30年くらい前からで、サンマを並べると、全部自動的に選別されるんです。サンマっていうのは10gとかの差で振り分けていったりするんです。女工さんは、手で持てば何グラムくらいってのがわかるんですよね。それでも機械の方が早いし、誰でも、今日来た人でもできる。それに正確さも、機械は疲れないので。女工さんでも、朝と夕方では正確さが全然違ってしまいます。

水産と一言でいってもいろんな業種がありますが、うちの仕事は冷凍が多いです。石巻と女川に揚がった魚を買ってサイズの選別をしたり、冷凍してダンボールに入れて、缶詰め、開き、塩サバ、しめサバを作る会社など、加工屋さんに原料として販売するんです。

あとは、輸出が多いんですよ。うちが扱っている魚の種類は主にサバで、あとはスケソウ(スケトウダラ)、真鱈、アジ、イワシ・・、この辺かな。サンマも若干やりますけどね。

会社の取引先は50軒くらいで、震災当時は従業員10人でした。男性4人が社員で、女性のパートが6人。パートさんの仕事は主に選別と箱詰め。あと包丁を使う作業もあります。

仕事のおもしろさ

仕事で一番おもしろいのは、自分で値段をつけられること。普段の生活では、消費者として値段がついている商品を買ったりするわけですよね。僕らの仕入れの時には値段がなくて、自分で値段をつけるんです。値段の付け方は何十年もやっている人でも、みんな様々で、たとえばある魚を50円じゃないと買わないという人がいても、一方で同じものを100円で買う人がいるとか。まあそういったところが一番おもしろいですかね。みんな買わないところを買って利益を上げたりとか。

魚も様々なところがおもしろいんですよ、おんなじ船で買ってきた魚でも微妙に鮮度やサイズが違います。品質も統一されているわけじゃないですし、季節でも全然違います。

毎日違うから、飽きるってことがないですね。買えない時や魚が揚がらないときもあるので必ずしも毎日市場から買うわけではないんですが、年間をとおして290日くらいある市場の営業日のうち、7割くらいの日は仕入れがあります。

水産の仕事をしていると市場と同じ日に休むような感じなので、休みは日曜日、年末年始やGWくらいですね。

市場の仕入れ方法にはセリと入札がありますが、僕が仕入れる魚はほとんど入札です。値段を紙に書いて一番高い人から順番に買っていく方法です。まとまった量の魚を仕入れるからセリで少しずつ売っていたんじゃ時間がかかってしょうがないので、入札で、一発勝負でやるような感じです。セリで販売するのは、バットに少しずつ並んでいるような量が少ない場合が多いですね。

仕入れる量はその日によって様々で、多くて40トンくらい。少なくて1トンくらいの時もあります。市場での1回の入札の量は、1トンから数百トンということもあります。ただ入札が300だからといって、一人が300トン買わなくてもいいんです。ある人は10トン。また他の人は30トン買うとか。

ただ提示した価格が高い順番から持って行くことになるので、もしも最初に300トン入札してしまう人がいたら全部持って行かれてしまうし、逆に低い価格を提示したとしても、まわってくることもある。その辺は勝負ですね。

魚はそれぞれトラックの荷台に乗っているんですけれど、その車によっても鮮度などに微妙な違いがあります。基本的にはいいものから先になくなっていくので先に落とした人の方が有利なこともありますが、狙っていたものを誰も持って行かなかったりすることもあります。

輸出

輸出の際は商社的な会社がうちから仕入れてその取引先に売るので、冷蔵庫の前で渡します。蔵前渡しっていうんですけども、うちはそれですね。輸出の商社で主だった取引先は、4、5社といったところでしょうか。すけそうとか真鱈は、ほとんどが輸出にまわります。

輸出先は中国が一番多いですかね。あと韓国や東南アジアにいきます。海外で加工されて日本に戻ってくる場合もありますが、全体的に見て、断然輸出の方が多いです。売上の金額でいけば、全体の7割くらいが輸出。数量ベースだと、9割いくかもしれない。

小さいサバは東南アジアに行きますけど、大きいサバは中国に行きますね。アジ、イワシは国内消費が多いかな。中国に輸出する場合は、輸出といっても向こうで加工して日本に戻ってきたりします。

表示方法はいろいろですが、その場合は原料「宮城県沖」、加工地「中国」なんていう表示が一般的ですね。一時期中国の加工品が話題になった時には、ちょっと停滞はしましたけど、全然関係ないですよね。やっぱり日本人はすぐ忘れますからね。むしろ今回の原発の放射能の方が問題は大きいです。うちはこの状態なのでいま仕事はできないですが、仮に仕事できる状況だとしても、輸出が完全にストップした時期もあったでしょうね。

今は証明書つければ少しは動くみたいですけれども。放射能の検査をして、大丈夫だということを証明してから輸出しているみたいです。EU圏内は完全にストップとか・・。中国や韓国も今は少し動き始めているみたいですけど、当初はストップしていましたね。九州の方の魚でも輸出できなくなったらしいです。

僕が戻ってくる前は国内向けの取引が多かったのですが、ちょうど時期的にも輸出が盛んになって増えてきました。輸出は一度の取引量が多くて、値段的なメリットもその当時はすごくあったんです。当時は円が1ドル125円くらいの時代だったので、輸出するには環境がよかったんですね。今はもう、あまりうまみがないかもしれない。リーマンショック以降はちょっとさえないですね。それからはやっぱり、少し国内にウェイトを移して、国内のユーザーさんに好まれるようなつくりをするようになりましたね。

たとえば輸出はサイズがおおざっぱでもあまり問題ないのですが、国内向けの場合だと細かく分ける必要があります。日本の製品はすごく規格化されているところがあるので、サイズがそろっていると使いやすいんですよね。それで結局、うちみたいな会社が細かいサイズ分けをしないと売れなかったり、売りづらかったりします。サイズだけじゃありません。たとえばサバの種類はマサバとゴマサバといって、2種類あるんですよ。海外だと気にしないところもあるので、そういったところだと選別する必要がないのですが、日本は分けないと厳しいですね。

味はほとんど一緒なのですが、身質がちょっと違うんです。製品にすると身割れするっていうか、身が柔らかいのがゴマサバ。夏は脂がのっておいしいんですよ。秋、冬はマサバが断然おいしいですけどね。それが一緒に獲れちゃって、見た目はゴマサバっていうのはそのゴマが点々となっているように斑点模様がある。マサバにはありません。今のところ人で選別するしかないですね。

今後国内向けの出荷を増やす場合、そうした細やかなニーズにも対応していかないとだめでしょうね。消費者のニーズを聞くだけじゃなくて、時には消費者の意識の方を変えることも、日本の経済発展においてもすごく重要なことだと思うんですけど。

津波

倉庫とかも、津波の被害で使えるものは一つもなくなりました。うちの事務所ももう、津波で全然・・。港のあたりだと、水産加工団地は9割以上壊滅ですね。比較的被害が軽微だったところも若干あるんですが、石巻でまったく被害がなかったというところはないですね。再開しているところもありますが、従来に比べたら稼働率がずいぶん下がっています。

石巻魚市場の背後地に水産加工団地が大きくあるんですよ。今の石巻魚市場は昭和49年に新しくできたところで、それ以前には北上川の河口のあたりで、川口町にありました。そこにも昔からの水産加工団地があるんですね。あと渡波地区にも、小さいんですけど魚市場があって、水産の加工会社が点在していたりして。石巻は大きく3地区に分かれていて、僕は渡波地区なんですよ。

今回の原発の事故や津波で、けっこう人生観とか変わった人いっぱいいると思うんです。今まで電気のおかげですごく良い生活をしていたけれど、こういうリスクがあったんだと気づいたり。こんな思いするんだったら、少しくらい電気を減らしてもいいや、とか。

震災後何か月にもわたって不便な生活してきて、電気がほとんどなくても、やってやれないことはねえ、って感じの人もけっこういるんですよね。

それに食べものの大切さにも気づいたり。今まで捨てていたような食べ物も、工夫すれば食べられる。水だって、水がなくなったからみんな大事に使って。歯ブラシだって、少しの水でもできるもんだな、と気づかされたりしました。

自給率の問題

本当に日本は、国民ひとりひとりが考えなおした方がいいと思いますね。そういう意味では、これはいいきっかけだと思うんです。食料も、日本は捨てている量がすごいですから、まずはそのへんを見直さないと。魚の場合は、捨てるまでいかなくても、水揚げされた魚で、食用向けとして日本人の口に入るのはかなり少ないんじゃないかな。ほとんどが輸出だったり、養殖の餌とか。

たとえば日本国内では大きいサバしか売れないので、輸出されて日本人以外の胃袋におさまる方が多いはず。小さくても、十分食べられるんですよ。ちょうど、昨日スーパーで長崎県産五島対馬海域のしめサバを買ったんです。これはすごい小さいサイズで、それをしめサバにすることは今までなかったんですよ。大体しめサバってもう少し規格の大きいやつが加工されるので。この小さいサバを食用向けに利用するっていうのは、やっぱり資源を大事にするっていう観点があるんじゃないかなと思って。味もみたくて試しに買ってみたんです。サバは三陸だと夏から年内までが獲れる時期で、旬は秋サバって言われる9、10、11月。長崎の方だと寒サバといわれて12月、1月、2月がおいしい。

日本全体でみれば、ほぼ年間を通して水揚げはあると思います。サバは世界中でも食べますね。うちからもタイやフィリピンに輸出しています。日本の水産資源はもう少し国内の食料に向いてもいいと思います。

一次産業の賃金

スーパーが売価を設定するので、製品の単価は安いですね。ある商品を300円で売る場合、スーパーは確実な利益をとって卸しや中間マージンをはさみ、われわれ産地市場の加工屋にしわ寄せがくることになります。たとえばスーパーが300円で売るためには、うちの仕入れは100円ぐらいになるかな。とはいえ市場で競い合って買うから、100円でほしいところを120円じゃないと仕入れることができない場合もでてきます。もう少し売価が高ければそれなりの利益も得られるのですが。

食品をつくる一次産業の収入が安すぎるっていうのは思いますね。苦労しているわりには。わざわざ外国から食糧をたくさん買わなくても、日本に食べ物あるんだから。国内のものを消費することで、結果的には自分も豊かになって、そうやって経済がまわるってことを多くの人が意識できるといいですね。国内である程度経済を立て直さないと。

震災前の生活と仕事

ここから渡波地区までは朝だと車で20分、昼だと30分かかります。一番最初のセリが6時からなので、朝は5時くらいに出るので道はほとんど混みません。5時くらいだと健康にいい生活のような感じがしてちょうどいいんですよね。市場は広いので、父と僕で一緒に相談しながら買う時もあれば、手わけしてそれぞれ仕入れるときもありました。仕入れはだいたい7時くらいに終わるんですけど、日によっては日中船が入ってくることもあるし、本当に遅いと午後3時頃に入船することもあります。

忙しい時は1日に4回も5回も市場と工場を往復したり、半日くらいは市場にいるような感じになりますね。

その後は、毎日変わる現場の処理方法に合わせてラインを組み替える仕事があります。人の配置とかの段取り。戻れない時は電話で指示することもあります。あとは出荷もありますから、冷蔵庫の方で出荷が間違いないか確認したり。魚の処理が終われば、あとは事務処理とか。

家族は、両親と弟の家族4人で、事務は母親と弟が、現場も事務もという感じでやっていたので。弟は実家で暮らしていたんですが、今は仙台と石巻に部屋を借りて、行ったり来たりといった感じです。

これからの仕事について

再建するとしたら、今後も施設や会社の場所は沿岸部しかないですね。さっきも言ったように市場から魚を買って往復することを考えると、やっぱり沿岸部の方がいいんです。あとは、水も大量に使うので排水です。住宅が近いと騒音も問題になりますしね。まあ、なんだかんだ言って、沿岸部に建てるしかないんですよね。

避難経路をしっかり確立すれば、津波は大丈夫だと思うんです。問題はせっかくお金をかけて建てた建物が壊れるっていうのはありますけどね。これからのことはまだ見通しがたっていないのですが、補助金がもらえれば規模が小さくても、もう1回冷蔵庫を建てたり、再建の方向に向かうと思います。補助金の額が小さければ、水産業のなかでも最初の投資があまりかからない仕事をしようかなと。投資金額は、冷蔵庫だと最初にかかるのが億の単位なんです。まだ出るのかどうかもわからないんですけども、少なくても補助金が出るなら、やってみようかなと。これからも水産業に携わり、会社を残したいというのが今の一番の気持ちです。

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