絆が支えた被災者支援

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おすそ分けはしょっちゅうやってますね・・・独りでいる人でも隣近所の人達がおかず持って行ってあげたりとか。
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Tokyo Foudation
Geolocation
39.3698337, 141.9411843
Location(text)
岩手県大槌町吉里吉里地区
Latitude
39.3698337
Longitude
141.9411843
Location
39.3698337,141.9411843
Media Creator Username
Interviewee: 前川笙子さん, Interviewer: 三原岳
Language
Japanese
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Japanese Title
絆が支えた被災者支援
Japanese Description
おすそ分けはしょっちゅうやってますね・・・独りでいる人でも隣近所の人達がおかず持って行ってあげたりとか。

自己紹介―震災当日は大槌地区に

名前は前川笙子(まえかわしょうこ)。仕事は主婦です。民生委員もやっています。生まれは岩手県沢内村って内陸で、車だと3時間ぐらい。昭和21年7月20日に生まれて、今は65歳です。昭和43年、吉里吉里出身のお父さんと結婚し、吉里吉里に来ました。お父さんは製鉄会社の会社員。平成12年に亡くなり、今は釜石市の企業に働く長男と妻、孫と一緒に岩手県大槌町吉里吉里4丁目に住んでいます。次男夫婦、孫も家の近くにいます。家はコップだのが落ちて壊れたりしたども、4丁目はほとんど流されてないから、津波とは無縁だったです。震災当日は大槌町の祭事場に手伝いに行ってたんだべす。近くの川に津波ががれきと一緒に上がって「どうすんべぇ」と思って。普段は大槌まで20分掛からないけど、山超えて家に帰ったのは8時近かったんだべかねぇ。全然、携帯は繋がらない。みんな「私はもう死んだ」と思われてました。その後、家は嫁さん任せて、朝から晩までお寺さんの避難所に行って炊事を手伝いました。吉里吉里は町内会がしっかりしてあるんで、連携は取れたと思うんです。和尚さん達を中心に役割を全部割り振りして責任持って動いてました。「地域が一つになって事をやるのは本当に大事なことなんだ」って、つくづくそう思いましたね。

山越えで6時間の帰宅に―途中に山火事、被災者救助

結婚した年に津波。あの時は十勝だったっけな。初めて津波見ました。全然分かんないから、「何であんな慌ててるのかな」と思いました。お父さんは製鉄所を夜番で帰って来る時で、汽車も途中で止まって。友達と二人で線路を歩いて帰ったんだって。そうしたら、細い沢の水も全部火だったんだって、「たまげて髪の毛全部立った」って言ってました。あん時も結構、養殖なんかも被害に遭ったって。津波は30分とか時間があるんで、漁師の人達、「海が引いたうちにホタテ取って来た」「赤貝拾った」とか(笑)。お父さんは平成12年に亡くなった。それまでおじいちゃんが養殖関係と店もやってだったし、そっちの方を手伝ってました。養殖はワカメとか海苔が主だったね。ロープみたいなのにタネを吊るして。秋にタネを撒くんですけ。それを海に入れて春先、1年に1回収穫です。海苔も1年に1回なんだけど寒い時だったね。2~3年して止めちゃったんですけ。台風来たりすると被害になる。おじいちゃんも年も取ってきちゃったし。店は雑貨屋。おかず類とか石鹸類とか、たばこ。おばあちゃんがその店やってるのを手伝って。自動販売が多くなってから来る人少なくなって止めました。

被災当時はね、大槌に祭事場ってあるんですよ。親戚の人亡くなって、3人で手伝いに行ってたんだべす。川に津波がもう上がって来ました。揺れも怖かったです。立ってられなくて、生まれて初めてだった。大きい地震が1回最初。次に収まって中に入ったか入らないうちに大きいのが来たから、「いやぁ、こんでば正常じゃない」って。3回ぐらい出たり入ったりしましたわ。大槌では新しくて立派な大きな水門できたんですよ。「でも、あれ超えて、ここさ来たら、もう大槌町は全部だめだぞ」って、一緒にいた消防署の前署長さんが言ってたんです。一波が来て落ち着いて、車で一旦上に避難したったけど、また車で下りてきちゃったんです。「じゃあ、国道に出て、帰っぺし」って。もうそこは全部水でしずまってました。「もう絶対国道さ、もう何処からもここからは出れない」って言われて。言ってるうちに、がれきの中に人が挟まってきちゃったんです。消防署の人が5~6人の人と一緒に綱で結んで助けて。もう我が身を忘れて、「頑張れ、頑張れ」って。助かった後、喜んで大騒ぎで。この葬祭場にいるうちに、第1回目のガスの爆発した煙が2ヵ所からもう上がったったで。「あぁ、火事が出た、どうすっぺ。大変だね」って。その時は私達がいる地区に消防車もあったんだけど、全然行けねぇんです。もう水だべす。遮断されてってです。もう本当に見てるしかないんだっけもん。

孫を置いてっちゃったから。どうなってっか、あっちも心配。なんぼいてもだめだから「山越えて帰ってす」って。細い抜ける道路をトラックと4台で、行く途中も太い木倒れてたったり。大きな石が崖崩れで落ちて道ふさがれてたったりしたんだけど、みんなで除けて除けて。その時、大槌町は全部水で埋まってましたよ。もう屋根がプカプカ浮いて。凄い山火事もボウボウ燃えて、風で上の方に煽って来るんですよね、「ここにいちゃだめだから」って車で移動で。川ね、全部ヘドロみたいなのが上がってて。車でちょっと入ったけど、「じゃあ、ここからもう歩くべし。車もここさ置いていくべし」って。そうしたら吉里吉里の若い男の人が車を脇に止めたの。その人も盛岡から来たって。「じゃあ、4人で歩くべし」って。私達も車で行ったから薄着で行ってるわけっす。本当に割烹着だけ。雪はどんどん降ってくるし。4人で歩きました。国道に出たらば、「助けて下さい」って人いたんです。「じゃあ、助けてくるから」って男の人達二人行って、私達さ「道路で待ってろ」って。雪は真っ白にどんどん降ってっし、波がドボドボっと来るし、「生きて帰れっるべかね」って。そんな寒い中にも60前後のお父さんとお母さん、「食べて下さい」っておにぎり持って歩いてました。知らない人です。その辺の家の人だった。辺りはもう火の海だべす。ガスボンベが爆発してってす。戦争のようでした。「こんな時もこうやって歩いてける人いるんだなぁ」と思って、本当にみんな泣き泣き食べました。涙のしょっぱさなんだか塩なんだか、しょっぱくて食べれない。本当にありがたかったです。そこに吉里吉里の知り合い夫婦が車で来たんです。 娘さん見に来たみたいで、「ここからもう通行止めで入れないよ」って。その男の人も助けに行って車に乗っけて貰って寒さはしのぎました。救助は1時間くらい掛かったんです。ずっとずっと歩いて帰ったらば真っ暗でした。8時近かったんだべかねぇ。傷ついた人二人連れて、「吉祥寺(きっしょうじ)」(=吉里吉里4丁目の寺)の避難所にたどり着いたったのす。

連携を取って被災者支援―吉祥寺での住民協力

一夜明けて被害を見てびっくりしました。お寺さんの奥さんと二人で朝ご飯炊いて。あのお寺さんにはみんな命助けてもらいました。お米も「なんぼでもあるから」って全部出して貰って。三陸園(=特別養護老人ホーム)さとか小学校さとかに避難している人達にも握ったのを分けて運んでました。私も家は嫁さん任せて、とにかく朝から晩までお寺さん行って。吉里吉里は町内会がしっかりしてあるんで、色んなことがあっても連携は取れたと思うんですよね。4丁目は全然流されてないから、一人一人できる範囲で関わってお手伝いはしてきたと思います。看護婦さんした人は保健担当とか。あとは炊事担当、お掃除担当とか。みんなそういうのを全部割り振りして、そう言われた人は絶対責任持ってやってくれたった。取材する人、尋ね人も勝手に入らないように受付を置いて、必ず通して出入りするようにやってましたっけ。必ず反省会がありました。朝と夜はミーティング。避難者の方達はやってましたし、私達も炊事班で。民生委員やってても、炊事の方に入ってしまえば全然動けないから。とにかく私はあそこの場所にいなきゃなくて。地区の役員の人達から情報を貰ったり、「ここの家に独りだけいるから行って見て来てください」ってお願いして安否確認やってました。だから、本当にやっぱりね、地域が一つになってるっていうのは本当に大事なことなんだなって、つくづくそう思いましたね。積み重ねですよね。避難者は最初130人から140人くらいだったんじゃないですかね。小学校に避難所ができた時に合流しました。

吉里吉里では行事が多いです。草刈りとか今は1ヵ月に1回あるし、女の人達がやれないような土手の草刈りとか、下水を上げたりをっていうのは男の人達が出て。海岸掃除は1年に1回。あとは「火の用心」のパレード。春と秋の2回、日曜日の昼に消防車1台借りて来て、消防車が先頭になって、子ども達も大人も全部。ずっと線路の上から全部端から端まで回るんです、旗のぼり持って。昔の拍子木、寄付かなんかで貰ったのを。「マッチ一本」とか、標語を子ども達が作ったり連呼しながら。

大きい行事は各町内会に振り分けです。参加人数とかっても、パーセントで出すんですよ。毎年10月運動会とか。小学校は小学校、中学校は中学校で運動会あるんですけど、吉里吉里全部で始めた最初の動機っていうのは、やっぱり全部が一つになることってあんまりないので、手段として運動会をやり始めたったっては聞きました。運動会は町内会単位の対抗戦。かけっこ、玉入れもあります。ボール運びとか綱引きとか。世代年代ごとリレーね。大人も年代ごとに。前は60代も一人ぐらいは走っちゃったけど、段々「無理だね」っていうことになって50代まで。年寄りも「オールドパワー賞」とか。昼までで終わって、町内会で分かれて盛大な反省会します。飲み会です。早く反省会したいから、早く終わって。そっちのほうが盛んで(笑)。

おすそ分けはしょっちゅう―吉里吉里の食生活

けんちん汁、この辺では「よまっこと汁」っていうんですけ。けんちん汁は標準語だ(笑)。ダイコン、ニンジン、ゴボウ、ジャガイモ、サツマイモ、取っただしの上げた昆布、ちくわ、さつまあげ、いっぱい入るんですよね。それを四角に切るんです。で、カツオと昆布のだし汁を作って煮ます。釜石は「しゃべっこと汁」って言ったべかね。内容的には似てるんですけどね。鮭も前は普通の家でも50本とか新巻き作ってカラッと干すんですよね。前みたいに作らないですよね。

ここでは「かまだんご」っていう半月みたいな団子あるんですよね。宮古の方さ行けば「ひゅーず」「ひょーず」っていう所もあれば、みんな同じものなんだけど(笑)。小麦の中に黒砂糖と味噌、すりゴマね。一服休みとかお盆とかに作って。一年通して作るんですけどね。お正月はね、お雑煮はお餅を取ってクルミで食べるんです。別々に置いて付けて食べる。あんまり具を入れないで、あっさり作る。マツモとネギだけでも結構おいしいですよ。マツモって海藻です。今は乾燥で売ってます。ツルツルしてね、おいしいです。でも、細くて量少ないから高いです。養殖はないです。春先とかに雪解けの辺りに海に取って来て干すか、塩をするだで保存するんです。お盆は赤飯とかゴマご飯とか。すりゴマを米に入れて炊くんです。こっちでは赤飯に砂糖を入れるんです、いっぱい。この辺はもうお菓子です。もう慣れたら、もう塩炊きのは食べられなくなって来た。もうすっかり慣れて、「やっぱりお砂糖入らなきゃおいしくないね」みたいな。

おすそ分けはしょちゅうやってますね。「今日こんなのだよ」とか。2~3人は毎日顔を見たり、行ったり来たりとか。美味しいのが取れたり入ったりした時は結構。独りでいる人でも隣近所の人達がおかず持って行ってあげたりとか。隣近所でも見ててくれるから。絆っていうか、繋がりっていうか、強いと思います。民生委員でも私は楽です(笑)。

心のケアで仮設住宅を訪問したい―復興に向けて

がれきとかがね、何とも言えないですよね。通る度に涙ば出てきます。みんな無くした人達は人生まるきり変わってしまっているからね。「これ以上の悪いことはまだあんだべか」って言ってた。自分の家も旦那さんの家も自分の兄弟も親もみんな流されてっていう人が結構いるんですけぇ。お盆が来たって、お正月来たって帰る家もない。砂浜も少なくなりましたもんね。被災した観光ホテルも結婚式場から冠婚葬祭とか、たった一つっこなんだよね。汽車だって何十年か掛かるんだか。お祭りも今年はないそうです。恐ろしい本当に。何だか全部みんな、様変わりしてしまいましたよね。

ちょっと大変ですよね、復興が。私らが生きてるうちに何とかなるんだか。ここ半農半漁だから、それが取れなくなって何年間かだめでしょう、ウニだって今年は取らないべし、アワビ、ホタテだってどうなんだかね。船が第一ねぇべしね。海底ってどうなってんだかね。汚くなってるんじゃねぇべか。今年はワカメも取んねぇべす。海は怖いねぇ。まだみんな恐怖だもんね。でも、やっぱり漁業でやっていかねばね。ワカメしてる人達いるからね。ワカメ取った時期には作業のお手伝いに行ってね、お金貰えたりするから。

みんな1回はね、元気な顔は見ましたったけども、やっぱり民生委員として回って見て歩こうかな。あの時は「もう生きてるだけで良かった」「今は生きなきゃない」っていうのでいっぱいだったんだけど、日を追うごとにね、仮設に入ったり落ち着いた気持ちになった時、無くしたものに気付いてびっくりしたり、周りの人がいなくなったのに落胆したり。ガックリしてる人も結構いるんですけぇ。「住ませてもらってるだけでも有り難い」って思いつつ、悲しい思いしてると思うんですよね。仮設も全部番号だけで何処に誰が入ってるかっていうのが掴めないんですけぇ。「お年寄りだけでは電子レンジとかも使えない人もあっかもね。そういう人達にも教えて歩きたいね」とか話してる。

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