吉里吉里ってこんなところ
川原って名字は、そんなに多くはないです。まぁ、竈(かまど。分家)でね。実家は、同じ吉里吉里でも2丁目っていう所なんです。実家の親たちももういないけど、私の妹がいるんですよ。その人たちだけ住んでるから。もうそこも津波で無くなりましたけど、家。妹はもう仮設に入ってます。2つ下で仲良く、昔はけんかもしたり。小さい時は、まぁね、中で遊ぶって、お人形さんごっこしたりね。あとはまぁ外で、なんていうか、縄跳びしたりして遊んだりも。そういう遊びがね、多かったです。私、泳がないから、海に遊びには行くけども砂場で遊んだり。今の子たち、ゲームばっかりしてる子もいるんですけど、私が小っちゃい時にはやっぱりそういう遊びして遊んだんです。
吉里吉里はまずね、近所付き合いっていうかね。隣近所みんなでね、結構協力してね。漁師町だし商店街も結構多かったから、にぎやかっていうか、まずいい所でしたね。海に行けば、海の人たちがいっぱいいるし。漁業が盛んで、カキとかワカメとか養殖してる方が多くて。3月、4月のワカメの時期には塩したやつを芯から剥がすんですけど、そういう仕事に私たち手伝いに行ってたんですよ。カキとホタテとねウニの時期も小遣い稼ぎに殻剥きの手伝いにもまぁ行きました。小さい身のやつを貰ってきたりして。嬉しかった、食べられたから(笑)。ウニは生が一番おいしいんです。
でも、用足す所はやっぱり吉里吉里にはないから、みんな大槌のほうの役場のほうでやってますけど。銀行も大槌にね。私も免許ないから、やっぱり汽車で行ったり、バスで行って用足してきたり。大変です、年いった方は。
大工の旦那と一緒になって
うちの旦那は大工です。この間まで山田のほうで仮設作るのに手伝いに行って、今ひと段落して休んでます。直す家があれば、そっちのほうに手伝いに行くけど。自宅も、畳の部屋がいいって自分で設計して建てました、和風の家。やっぱりこの津波で、一階はもうだめで、直さないと住まわれない状態になってしまって。娘の部屋のある二階は大丈夫でしたけど、私たちの物はほとんど下に置いてるから、思い出の品とかも全部流れてしまいました。最近は、「休んでる間に少しずつ直そうかな」って言って、今日も行きました。また仕事が始まると、できなくなるから。
旦那は私の2個上の先輩なんですよ。だから、まぁ中学校の時から顔はまあまあ知ってたったんですけど。ええ、前から顔は知ってまして、私(笑)。中学校終わって、福島のほうに5年働きに行ってたったんです。そして、帰ってきてから地元の呉服屋さんに勤めたんですよ。その時に買い物に来たりしててね、なんとなく話しして一緒になりました(笑)。結婚して、もう三十何年になります。小さい子どもも今は高校生一人だけで、3人で暮らしてます。あと4人はみんな大きくなって、それぞれ。
うちの旦那、お休みの日とかは、まず、あんまりどこにもね、出掛けないで、家にいることが多いですね。買い物でも、たまに遠くて遠野ぐらいですね。遠くさ行くのに嫌がる人だから。でも、たまに休みの時に夜釣りに行きますね。小っちゃいアジが釣れる時期があるんですよ。あと、白魚釣りに行ったりして。うちの人一人だけで行って。取ってきたのをから揚げしたりして食べたりして。釣るの好きだから。本当にまだこんな小っちゃいの釣ってきたり(笑)。鱗を取ってね、腹切って、エラ取って。作るのに大変だったんです。釣る人はおもしれぇべと思うけどね。
晩酌は缶ビール、こんな缶ビールね、350を一本飲んで、あとはもうお酒っていってもコップで2杯くらい。自分の釣ってきた魚をつまみにして飲んでますけど。私もたまにね、酎ハイとかね。何でもまぁ。おいしく飲めればいいやって。
5人の子供たちと
大槌病院で22歳で長女を産んで、4人まではそこで産みました。その病院も婦人科が無くなりましたから、一番下の高校生の子だけは釜石の県立病院で産んだんです。そしたら、4080グラムあって帝王切開だったんですよ。大きかったから、どうしてもね。まさかそんな大きい子が生まれると思わなくてね、体重聞いてびっくりして。今も兄弟の中でまぁ一番身長はあるんですけど。お姉ちゃんたちは私に似て小っちゃい子で、小柄なんですよ。だけど、この人とお兄ちゃんが背が高いんです。
5人だから、にぎやかって言えばにぎやかだったんですけど。当時はアパート住まいで家も狭いしね。子どもたちも3人も4人もね、まずいたったから、よく食べるし騒ぐし。一人騒げばほかも騒ぐから、小さい時はね本当に大変だったけど、まぁどうにかこうにか育って。今思えば、いい思い出になりました(笑)。学校に入ってても「宿題はやれ」って言ったったけど、そんなにしつこく「勉強せい」とかは言わない。好きなようにさせて。「宿題だけはしていけ」ってね、言うんですけど。あんまり勉強好きなほうじゃなかったんです、家の子どもたちは、みんな(笑)。
福島の呉服屋さんでは洋裁学校にも行かせてもらったったんです。裁縫はまぁ嫌いなほうでないですから、前はミシンで自分のも何か作って着たったんです。子どもたちが小っちゃい時には、袖なしのチョッキ編んで着せたりして育ててました。それと、子どもが小さい時は結構雪が降ったから、家の前でね、雪だるま作ってやってたり、かまくら作って遊ばせたりしたったんですけど。雪かきがこんだね、大変ですもんね。力仕事。ねぇ、疲れるもんね、あれね。終わった後にはもう腰とこの腕が痛くて(笑)、大変なんだ。でも、子どもも一緒になってスコップ持って、こうやって雪かきしてくれてました。
やっぱり鮭が好き
海のもの、やっぱり魚。漁師の町だから、魚がやっぱり食べたいもんね。生もの買ってきて下ろして食べたりするけども、避難所にいられたら、やっぱり生ものは持てないし。鮭はね12月で、鮭の時期は鮭。やっぱりね。3月から4月のワカメの時期にはワカメだし。ときにはワラビとかねフキとか山菜も食べたり。6月の休みの時にはうちの旦那が取りに行くから、山菜もあんまり買わないで食べてます。年中塩しておけば、いつでも食べられますからね。
鮭は投げる所ないから食べ方いろいろあるんです。一匹貰うと三枚に下ろして、味噌溶いて鉄板で野菜を焼いて食べるちゃんちゃん焼っていうのがあるんですけど。あとは切り身にしてね、味噌汁とかフライものとかにして食べたりして。アラはアラでまた別にね、アラ汁にして食べたり、また塩だけで煮る、こっちでは。塩で味取って、その骨とか頭をね、煮て食べるっていうのもあるんですけど、またそれもまぁおいしいんですけどね。卵は身をほぐして塩水に漬けてザルなんかで水を切って、温かいご飯に醤油かけて食べます。醤油でする方とか一晩ぐらい置く人もいるみたいですけど、その人の作り方によって。オスの白子は結構煮て食べる人もいるんですよ。砂糖と醤油とみりんで味取って。でも、どうしてもね、感触がいやな人は食べないべと思う。投げる方もいるみたいですけど。私は投げないで、そこも食べますけどね。
大きいも小さいも変わりねぇけど、銀鮭って一番おいしいんだで。皮が銀のやつがね。やっぱりフライにしたりすると一番銀鮭がおいしい。でも、新巻するにはそういう銀鮭でないほうの、ちょっと黒っぽしい皮のブナ鮭がおいしいっていうんですけど。そう、こっちでも新巻にするんです、塩しててからね。一週間くらい漬けて、あとは干して。それを後から切って焼いて食べて。生で貰って多い時にはそうして。保存食にもなるから。あと、親戚とか、新巻にして贈り物にしたりね。
やっぱり一匹買って下ろしたほうが安いなと思って市場で買うことが多いんですよ。生で買うと安い所だと千円ちょっとだけど、干したの買うともう二、三千円するでね。だから、家で作る方が多いんですよ。何十匹も買ってきてね。そのほうが安上がりだって言って。
ワカメのしゃぶしゃぶもおいしいんです
塩しない生のワカメの間抜き(あいだぬき)ってあるんですよ。ワカメが伸びてあんまり多いから、この間を抜いてくる。その小っちゃいのを家に貰ってきて。大きくなったやつじゃなくね、伸びかけたやつがおいしいんですって。小っちゃい土鍋をね、小っちゃいガスボンベの上に乗せて、ただ湯沸かしたのさ、こうただ生なの通して、湯をくぐらせて醤油で食べるんです。ええ。それが一番おいしいですね。茹でたの切って食べてもいいんですけど。熱いのを食べるからね、おいしいんですって。ワカメのしゃぶしゃぶっていうんですけど、ここら辺では(笑)。そうやって食べてる人も多いんです。
すいとんは小麦粉を練って。すいとんの粉って売ってるんですけどね、できた時に柔い。で、それ、材料が煮立ったところに千切って入れたり。あとはね、味付け。醤油でする方もいるし、味噌でする方もいるけど、私は醤油で味付けしてから、食べますけど。おだしは、私、鶏肉で作りますけど。ほんだしで作る方もいる。
あと、ぺらぺら汁ってね、後からとろみをつけて食べる味噌汁もあるんです、正月には。おだしを普通に取ってその中に材料、ニンジンとかダイコンとかゴボウとか豆腐とか入れて。そこ醤油で味取って。その最後に、片栗粉溶いたやつを入れると、とろみがつくんですよ。たまにお盆とかに作る家庭もあるけど、それもまたおいしいんです。
大切な夏のお祭り
夏は8月のお盆が終わってからお祭りも大盛りっていうか、踊りとか、ほら、獅子とか虎が出て、結構にぎやかです。去年までにぎやかだったんだけど、今年はあんだかないんだかね、この状態だから。大きな行事ってお祭りぐらいで、あとは別に。そういうのなくなると、本当に吉里吉里の町も何もなくなるね。遠くに行ってる方たちは。まぁお盆には帰ってくるべぇと思う、それが、祭りがなくなったらね。寂しいですね。
前の日は神社で宵宮(よみや)ってあるんです。次の日が本祭りの行事なんですよ。神輿とか、そういう神楽とか、鹿踊(ししおどり)とかが、ずっと吉里吉里の町を歩くんですよ。海に行って、海から戻ってきて丁目ごとにグルッと回って。で、お寺のほうまで行って。夕方ね、4時頃まで掛かります。終わった後に神社の急な階段を上がって行くんです。そこをみんなが集まって見に来るんです。最後その神輿を下げる、その場所が見事なんですよ。私も小さい頃から毎年。神輿が見るのがみんな楽しみで。
担ぐのは年男っていう、50代頭に40代ぐらいの方がね担いでます。うちの旦那もずっと毎年、厄男の時からずっと担いでます。子どもと一緒で祭り好きで。子どもたちも小さい時には、神輿になんかこう神楽っていうのさ飾って歩ったんですけど、もう大きゅうなったっけば、そういうのさ出なくなりました。神楽、こう被って、前で「ささらすり」ってやるんです。神楽を踊ってると、前に来てからこう拍子取る。なんていうんだかね。こういう棒を持って前で踊るっていうか、そういうのさ飾って歩ったんですけど。踊りは大人が踊るんですけど、子どもたちが前に立って太鼓と笛とで拍子取りながら。それに合わせて子どもも大人も一緒に踊って歩くんです。
大晦日の夜は、お寺さんのほうで除夜の鐘をつきに行くんですっけに。夜、みんなでお寺まで歩いてって、そこで除夜の鐘ついて。お寺さん、にぎやかですね、その時はね。その帰りに神社に寄ってお参りして。縁日は出ないんですけど、まぁにぎやかです、神社も。部落の方が年越し蕎麦をご馳走してくれますから、それごちそうになってから帰ってきますけど。それで、参詣って、元旦の朝は浪板の滝に行ったり、あちこちの神社にお参りに行って。正月にはやっぱりお煮しめとかね、おせち食べたりね。あと、雑煮餅とすいとんなのかな。そういうの作る家庭が多いと思いますけど。
仮設住居への入居を前に思うこと
最初私は吉祥寺ってお寺さんに1カ月とちょっといたんですよ。で、5月の末に小学校に避難されてた方と合同になってこの避難所に来たんです。私たちが小さい時は、中学校はここ(避難所の体育館)の隣に建ってたったんですよ。今は給食センターになってますけど。
仮設は出来たんですけれども、電化製品が入ってないとかで、引っ越しは来月の10日頃でないと入居はできないんです。今日はもう鍵貰ってきたんですけど、まだ住まわれない。早くまぁ出て行きたいのもあるんだども、何カ月もいるからね。慣れちゃって、もうこの生活でいいかなと思ってて、まさかそうは行かないけど(笑)。こういう大勢の中にいてみんなとね話ししたりして暮らしたから、こういう広い所から急に狭い仮設さ行って慣れるまで今度は大変だこった。ね、おかげさまでね、ここでは風呂も入らせてもらって、本当にありがたかったです。
ここにいる方たちも大人ばっかりだから、普段はしーんとしてて静かですけど。どうしてもね。でも、うちの孫が来ると結構にぎやかで笑ったりするんですよ。それで、「今日は来るの?来るの?」ってみんなによく聞かれますけども、やっぱり小さい子どもいると気持ちもこう、和やかになりますね。子どもが本当ね、命です(笑)。ねぇ、かわいいもんね。