倉本修一(くらもとしゅういち)です。昭和43年生まれ。吉里吉里生まれの吉里吉里育ちです。きょうだいは、姉とね、妹がいるんだけども、妹は嫁いで大阪にいる。母親はだいぶ前に、もう今年の2月で27回忌だった。父親は2年前に津波見ねえで死んでるから。今、仮設に姉と2人でいる。
10年ぐらい前まで外国航路に乗ってた。おもにペルシア湾とか、巨大タンカーに乗って。10年くらい前に、三陸で「爆弾低気圧」ってあって。津波じゃねえんだけども、低気圧の大しけでワカメの養殖施設がさ、全部流されたことがあったんだね。その時に、その船乗り辞めて地元に帰ってきて漁師始めました。また復旧っていうか、その時に、再度やり直すっていう作業から携わった経験がある。父親がもともとここで漁師してたんで、小さい時からその手伝いをいろいろやってたから、仕事の中身はわかってたったし。お祖父さんも漁師。
漁業は大きく分けてさ、養殖漁業と漁船漁業に分かれて、養殖は俺は津波の前まではワカメとホヤの養殖。で、漁船漁業でサケの延縄(はえなわ)と、あとカゴ。それでタコとか獲るの。他に、漁協で発表してる解禁日になれば、ウニとかアワビ。
船はね、3トンちょっとの、マストとかいろいろ付いた漁船漁業用のちょっと大きめの船と、養殖用の漁船と、あと、ウニとかアワビを獲る小さい和船と3艘持ってる。ここらへんではさ、サケ漁とかに使う、12メーターくらいのちょっと大きめの船を「モーター」って言うんだよ。操船は基本1人。このへんのはさ、設備もよくて、操船っていったってリモコンなのさ。舵取るとか、前進後進っていったってコントローラー1つ。スイッチ切り替えで、船の艏(おもて)とかで仕事する時は自分でそれ持ってってやる。
養殖用の平べったい船は船外機しかエンジンがついてないから、「船外機」って言うんだよ。で、小さい和船っていうのは笹船みてえだからさ、さっぱ船っていうの。船もつけねえで「さっぱ、さっぱ」って呼んでる。
3艘の船で1年中海に出る
漁師の仕事は、1月からいえば、うちの場合は、まあ1月、2月、3月はカゴ漁。600メートルのロープに30個カゴがついてる。それを5本あちこちに入れて。カゴのときはサケ漁する船。寒い時期だと夜明けるのも遅いし、電気つけて行くんだけども、5時、6時頃から午前中かかる。タコはもちろん、魚でいえばアイナメ、カレイ、いろいろ獲れる。
3月からはワカメの刈り取りなのさ、4月いっぱい。ワカメは船外機と、あと、うちでは去年からは人数乗せていっぱいで行くのに、モーターでも行く。岸から300メートルぐらいのところ。ワカメは延縄方式になっててさ、太えロープにごっそりつくのさ。このロープを棚っていうんだよ、養殖棚。この養殖棚1本が200メートルで、20メートル間隔でさ、ずっとあるの。うちでは15本。まあ、少ねえ人で6本から7本。200メートル1本に2トンぐれえなるのかな。それを刈っていく。それを海岸で煮て、塩して。それを陸上の作業場で、葉っぱとか茎とかに分けるわけ。それを脱水して箱詰めして出荷。
で、5月からウニ獲るわけだ、さっぱで。8月のお盆まで、毎週2回揚がる。箱眼鏡で海底見ながら、たも網で獲るのさ。スラスターを使って、前進したり、旋回したりしながら。早え時は朝3時頃から。ウニは週2回だから、その間にカゴ漁もやるのさ。カゴを入れたままで。で、ウニのある日はウニ獲りに行く。ウニのない日はカゴを揚げに行く。ウニは朝7時までだからさ。で、7時までに帰ってきて、それからウニを殻から剥いて市場に出荷して。午後はカゴが壊れてれば、壊れたカゴの修理とかさ、ロープが古くなってきたらロープ取り替えるような準備したりとか。朝早いから昼の3時ぐれえでだいたい1日決まって。4時頃から近くの漁師さんたちも寄ったりすればさ、まあちょっと1時間ぐれえだべって。で、「帰っか」ってそれからね、5時には家に帰ってくる。
そして、盆過ぎからね、船の手入れが始まるのさ。3隻ある船。ウニ漁も終わったしってなればペンキ塗ったりさ。あんまり寒くならないうちに。9月っていうのはさ、潮の流れがあんまり速くなくて、で、養殖のほうもさ、古い施設もあるわけだ。長年しけに耐えてきて残った、古い施設とかが。ワカメの養殖棚に入れてある土嚢袋がね、毎年毎年、ちょっとずつ破れたりして抜けてきたりもする。そういうのを交換したりする共同作業とかが、ここに入ってくる。もちろんカゴ漁も続いている。
で、その間に、っていうか、まあ年中通してなんだけども、海とか納屋でやる作業ね。9月、10月にサケの延縄を集中して作るんだけども。夕方5時頃から一杯飲みしながら、サケの針を1日に2,000本も3,000本も結んだりするわけだよ。ただのまっさらなロープ1本にテグスの端をくぐして、その先にも針も自分で結んで作る。
で、だんだんに11月からサケの延縄が始まるんだけども。そして、11月、12月はアワビ獲りもするわけだ。サケ縄をしながら、アワビ獲りもしながら、あと、カゴも入れてるのさ、何ぼか。サケの漁が続いてれば、12月の25とか27まで沖に出る。
だから、1年ずっと何かかにか商売できるように繋ぐ。大晦日は、「まあ1年ご苦労さん」て船にお酒をやる。神様にお神酒あげるのと一緒でさ、船にはさ、コップで置かねえで、そのまま瓶から。大漁旗を竿に1本か2本飾ってさ。
一番好きなのはサケの延縄漁
こういう漁の技術は、身につけるっていうか、まあ小さい頃から父親とやってきているからそうなる。俺の中学校の頃まではGPSっていうのはねかった。だから2人いなきゃできねかった。舵取る人と、延縄上げる人と。俺、小学校午前中休んで行ってたと思うよ、親父と一緒に。サケ縄の時期は、朝から学校休んで沖から帰ってきたら、おふくろ、ランドセル持って岸壁さ迎えさ来る。それから学校に行くのさ。今はいねぇね、そんなの。
漁の中で一番好きなのはサケ縄かな。このへんはさ、船が大槌からも出るし、吉里吉里からも出るし、船越の田の浜っていう港があって、そっちからも出てくるのさ。
朝4時までは、延縄を投入しちゃ駄目っていうきまりなの。延縄は4キロまでって長さ制限があって、4キロ先に行くと、1列目に並べなった船が待ってるわけ。第2弾。で、さらにここにも間に合わねかった人は、もっと奥に3弾目もいるときもある。沿岸にレーダーとGPS見ながら、200メーターの等間隔にみんな並ぶのさ。
最盛期になってくると、船が混んでくるからさ。だから朝4時から縄投入するのに、前の日の午後2時とか3時とかに行って並んでるわけだ。早い者勝ちだから。で、1人で乗ってるから寝られねえのさ、一晩中。まあただ待ってるわけでもねえんだ。スルメとかも釣れっからさ。周りの船も、みんな仲もいいしさ、ライバルにはライバルだけど。だから無線でいろんな話しながら。
冬の朝4時っていったら真っ暗だ。投縄(とうなわ)のときは黄色の回転灯を回すのさ。それ一斉に回し始めてヨーイドンだもの。海岸線の形に船並んで。
船の前側を艏って言って、後ろ側を、船偏に尾という漢字を書いて「とも」って言うのさ。それで、延縄を「とも」にセットしておいて、船が走っていくのにあわせてボンボンボンボン落としてくの。
で、さらに予備の縄もいっぱい持っててさ。魚探見ながら魚群が映ってきたなと思ったら、「とも」の両方から縄を出せるようにしてる、いつも。俺の場合はね。魚探でもし一杯映ればさ、途中からでも「とも」の反対側からも打ってくわけ。縄1本に見えっけども、じつは2本打つのもあるわけさ。技としてね。そうすれば、隣りの船、500本しか針入ってねえんだけども、うちの船もう1,000本入ってるよっていう。
さらに、探照灯っていう明るいサーチライトつけて戻ってきて、5回も6回も重ねて縄を入れる。潮の流れで隣りの船の延縄がどっか見えなくなってれば、また余分にも入れるし。延縄の端には旗竿だけつけて。長年の勘でさ、この潮だとどっち側に、だいたいどのへんまで流れていくっていうのは見てなくてもわかる。
潮が悪くて隣の船と延縄がからまることもある。そうしたら早い者勝ち。獲れる実力のあるほうが獲っていくのさ。で、こっちが先に200匹獲れたから、100匹やっからって、半分ぐれぇに分けたりする。
延縄も自分たちで作るんだもの。400メートルものをいっぱい作るのさ。長いロープにテグスで結んだ釣り糸が50本くらいついてるの。その400メートルのやつを1枚っていうのさ。俺はそれを200枚ぐれえ船に積んでるのさ。100枚持ってればさ、10回往復できるの。使わねえ時は、次の日使う。
餌はね、かけてねえのもあるのさ。「それっ」て言えばさ、餌は1枚2~3分でかけるのさ。切ってった餌を持ってって、べつに餌だけやる。だから、20~30分で10枚ぐれえつけるわけだ。その30分のうちに先に入れた縄はどっかに流れてるのさ。いつまでもまっすぐじゃねえわけ。斜めになったりしてるわけ、どんどんどんどん。自分の縄、どこにあっかっていうのを常に確認してねえと、この作業ができねえのさ。だから、どこで実力の差つくかと言えば、ここの潮によって、自分の縄が今どういう状態になってっかっていうのを完璧に把握すること。そうしねえと、結局、人とくっついてしまって、また魚半分分けたりとかさ、いうことになるから。ここで実力っていうか、差がつくんだよ。だって1本でも多く入れた人が勝つんだもの、やっぱり。
天照御祖神社の祭り
このあたりでは、もともと8月のお盆が終わった次の日からお祭りだったのさ。盆から祭りで。8月17日は、宵宮祭(よいみやさい)っていって、鹿子踊(ししおどり)や、虎舞や、神楽を奉納する。神楽っていうのは、全国的にいう獅子舞ね。全国的な獅子舞は、こっちで神楽っていってさ。鹿踊りみてえなのを鹿子舞(ししまい)って言うんだよ。木で作ったさ、角生えたお面つけて。まあ鹿の顔だ。で、その後、漁師とか、各団体の代表者とか、神輿担ぐ人とか、いろんな担当の人たちが神社に集まって、お祓いを受けて。で、夜7時ぐらいから、ここで軽く一杯飲むわけだ。
18日は、町内練り歩き。一緒にね、踊りながら。子どもたちとかお母さんたちが手踊りとかって、各丁目ごとにね。漁師はみんなさ、神輿担ぐのさ。船持ってる家はさ、竹竿に自分ちの大漁旗つけてね、それも持って練り歩くのさ。俺は小さい時はそれを担いだりしたの。
震災の日、そして、これから
震災当日は3時から大槌の組合で会議の予定が入ってて、それで、午後仕事するにも半端だなと思って、お昼を遅めに食べて自宅にいたの。それから地震だから。地震がちょっと収まってから、船見に行ったの、すぐに。その日はもともと干潮だったの。それがさらに潮が引いてたったからさ、吉里吉里は漁港がもともと水深が浅いしさ、座礁してんじゃないかなと思って。津波が来るから、沖に走っていきたかったの。岸辺にいっと、波がざぶんと来っけどさ、沖に走ってけば、なだらかな山っていうかさ、大きなうねりを乗り越えるだけだから。でも、15分くらい海岸にいたけども、間に合いそうもねえなと思って、沖に行くのやめたのさ。ここまで大きいのが来るとも思ってなかったし。
それで諦めて家に帰ってきて。うちの目の前はちょっと小高い山があるのさ。津波来たらそこに逃げればいいなと思ってたんだけど。で、姉が夜勤で働きに行くって言ってたったんだけども、もうちょっと待ってろと。そうやってるうちに国道のほうから水が来たから。で、急いで家の目の前の山に避難した。近所のおばちゃん2人引っ張り上げて。自宅はその後、浮いて、隣の家にぶつかってた。
漁のほうは、今まあ、とりあえずカキの養殖棚は10本入ったし、これからワカメのほうの作業が順調に進めば、来年の3月、4月、ワカメの刈り取りして、で、ウニでも獲りながらカキの出荷できれば。それだけでも3割ぐれぇ元に戻んのかなっていう感じはするね。
今、ちょうどワカメの作業をやってんだけども。土嚢袋ってわかる? 砂利入れんだけども。土では溶けっからさ、海に入れんのに。それを養殖棚1本につき70個作る。ちなみに1個の土嚢袋にさ、砂利をスコップで山盛り10杯入れなきゃねえんだよ。共同作業、みんなでやる。で、それがさ、両端だから70かける2なわけ。1本だよ。で、今、われわれがやってるのは、その200メートルを100本復活させようということなんで、合計1万4,000個。今朝、作り終わったわ。15人で全部で12日ぐれえじゃねえか。でも、終わった。人の力。
漁業は案外大変な作業が多いからさ。地道に気の遠くなるような仕事をみんなでこなしてきてる。