海からの再生

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野菜も魚も三陸物がさ、東京を支えてるじゃないですか。こっちも三陸のためだけでなく、そういう意気込みで考えていかなきゃ。
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Tokyo Foudation
Geolocation
39.3698337, 141.9411843
Location(text)
岩手県大槌町吉里吉里地区
Latitude
39.3698337
Longitude
141.9411843
Location
39.3698337,141.9411843
Media Creator Username
Interviewee: 村中トセ子さん, Interviewer: 三原岳
Language
Japanese
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Japanese Title
海からの再生
Japanese Description

自己紹介-吉里吉里に住んで36年-

名前は村中トセ子(むらなかとせこ)。昭和18年8月14日生まれで、今は67歳。岩手県山田町大浦地区で生まれ、吉里吉里には31歳で来ました。被災前の住所は大槌町吉里吉里1丁目。実家はカキやホタテの養殖業。主人は遠洋マグロ船さ乗ってた。神奈川県の三崎を基地にして、外国さ行って。行って来れば1年とか普通で、子どもと2人だけの生活でした。1人息子には「どんな大学でもいいから4年終われ」って望みだったもの。よくぐれないで大学終わって。就職の最初に自衛隊の航空に入って。でも辞めて、今度は東京出たんですよ。警察官やってます。「将来的には帰って来る」って言ってる。

被災前は主人と2人暮らし。あんな地震なんだど、家が壊れなかったもんね。その代わり、津波にやられたの、全部な。うちの主人、心臓が悪くて。このままじゃ体調崩してしまうし、病院もお医者もいない。だから在宅の形を取ったんです。今は4丁目のうちの主人の弟の所にお世話になってるんです。ずっと在宅しただけでも気分転換にならないし、人に会わないと色んなことが分かんないから、昼はここ(避難所)で過ごして。だって4丁目は高い所なんで人通りがないんですよ。どうしても私はこっちさ来たいんですよ、ここに来れば、みんな同じ被災した人ばかりで気持ちが一緒だから。ここさ来た方が心が休まるしね。8月10日から仮設住宅に移ります。

津波当日の様子―被災後はテレビを観なくなった

地震が起きた時、主人はコタツでゴロゴロってね、主人2階でテレビ観てたのね。1回立てないような大きな地震があったんです。収まるまで長かったんです。目が回って。2階からね、降りてこれなかったって。「静かに、静かに、静かに、静かに、何か掴まってこい」、そんな感じ。すごい長いんだもん、地震が。玄関の戸が勝手にひとりでバタンバタンって。普通はあんなことないんですよ。家は壊れなかったもんだ。それは不思議だった。

もう落ち着いて一旦外さ出たんですよ。それで、近所の人に「(津波は)どうなんですか?」って聞いたの。「6メーターだってよ」って言うから。それだけども、次の揺れが強いからと思って一旦家さ入って、もう逃げる支度して逃げました。常に家の関係の書類とか大事なものをバッグさ入れてるんですよ。あと寒いから、玄関から着る物を着て。マフラーを1枚持てばいいのに2枚も持ったりして慌ててね。位牌なんかもね、持っていくのに辛かったんですよ、位牌も仏壇も倒れたからね。でも、「せめて位牌ぐらいは持ってこなきゃな」と探したから。それもバッグさ入れて持ってきた。

主人の薬を持って、その時は歩いて逃げました。車買って2カ月経ってないですよ。車で逃げようかなと思ったけどね、車の置ぐっている場所がね、ちょっと道が細いんでグルグルやらねば出られないような可能性があるんですよ。車は危ないわけですよ。(避難は津波を)見ながらね、見ながらね。4丁目って高い所です。ちょっと坂道さ入った途端、煙みたいなのが来たんですよ。「火事がどこかで起きたんだ」って思ったんの。それは火事でなくて、津波の埃だったんだね。びっくりして。がれきが流れになったのが、山で2つ動いてるんですよ。波じゃなくてがれきが。「あ、これが津波なんだな」と。それで親戚の家さ入って。上から見たら流されてどこもないんです。

今はね、テレビ観たくないですよ。前は韓国ドラマ好きで遅くまで観る方だったんですよ。歌謡曲も好きなんだけど、聴きたくもない。1カ月くらい前まで、テレビのアナウンサーが綺麗な恰好で出て、「何でこの人達はこんな恰好してくるんだべな」と思ったの。「何でこっちはこんな大変な思いしてるのに、何でこの人さこんなハイカラさで出てくるだべ」って、ふいに思った時があるの。もう気持ちがどうかなってるんだわね。遅くても8時半には寝ます。寝てた方がかえっていいわ、忘れられて。仮設入居してる人達も「観たくない」って言ってたもんね。どこかやっぱり気持ちがスッキリしないんじゃないですか。色んな大事なものが流されてる人達もあっから。おまけに人も犠牲になってっからね。気持ちが複雑じゃないですか。

ホタテ貝の「耳」にテグス―実家のホタテ・カキ養殖

実家は漁師です。養殖でね。山田湾に近いんだけどもね、実家は流されないけど、曲がったんだって。だから壊した。倉庫のものも全部流され、もうすっからかん。今も仮設入ってますけどね。「これからは頑張ってやりたい」っていう気持ちになってるようです。養殖はホタテのつがいを北海道か陸奥湾か買って来るんです。北海道から買って来ると、大きさは指にもなんねぇかな。それが夜中に冷凍車で来るんです。夜中でも起きて、早く海さ漬けること考えなっちゃ、死んじまう。一旦ネットさ入れて、大きくなんねばテグス(海にホタテを入れる際のロープ)も入れられないのね。陸地に揚がったら、今度は耳さ穴っこドライバーで開けて。貝殻に耳っこがあるんですよ。貝に出っ張ってるとこあるんですよ。そこさ片方、穴っこを開けてテグス通して綱さに付けるんです。それをやって、養殖の棚さ吊るすの。11月頃来ればね、3月頃っからやるんだね。結構大きくなってるんですよ。プクプクプクって生きてるわや。次の年、出荷になるんです。あんまり吉里吉里ではやってないみたいね。

カキね。小さいタネを宮城県の方から買って来るんですよ。それを大きくして、それさ縄さ挟んで、海の中に吊るすんですよ。昔は本当の縄、使ってたんだけど、今はナイロンの締め縄。それを2年か3年だかなぁ大きくなって。昔はカキを剥いてね。全部手作業ですよ。カキを殻付きに出すって案外と手数も掛かんなくて、割といい収入になったんじゃないんですか。殻をきれいに洗う。機械が洗ってくれるの。手でやってたら、とってもじゃないけど。この辺では安いんです。うちの息子が飲みに行ったら、「大浦」っていう箱がね、居酒屋にあったがいって、「お母さんの実家のほうだな」って思ったんだって。出荷時は200円。大中小って分けてね、なんか出荷してるようです。

ウニもあるでしょう、天然ね。アワビもあるでしょう。ワカメもあるでしょう。今は天然のワカメは採らねぇけど、それからホヤ。そういうのを順くりに、時期で回して収穫するんですよ。ワカメも30、40年ぐらい前から養殖に切り替えてっけど、本当は天然だったの。ワカメの胞子ってあるんですよ、タネね。ちょうど津波の頃、養殖ワカメ取るんですよ。それを流されちまったから、収穫がもうね。

1人息子の突然の訪問―避難所での再会

黙って何もしなえば、ポカンとしてだめです。やっぱり仕事持ってれば、退屈しないもん。色々と働いてきたんだけどね。部品工場に10何年働いてきたし。あの頃はね、コンピューターの心臓部とか作る時だとかって言ったな。従業員は30人だべね。働き始めたのは、子どもが幼稚園の頃だった。家から10分掛かんねぇ。5、6分。だから働きやすくてね。幼稚園も近かったし。今度は大槌の方さ工場入ったったんですよ。同じ仕事だったんだけど、何年か勤めて。もう今はないけどね。少し加工工場みたいな所でちょっと何カ月か働いて、あとは実家手伝ったり、養殖も手伝ったり。あとは主婦。

主人は遠洋漁業さ行けば帰って来ない。一番長くて1年6カ月でした。だから、こういうのが一番困ると思ったね。子どももどんな仕事さやってんだか分かんねぇじゃねえですか。社会人になって、遠洋マグロの模様もやってれば、「こうだったんだな」「よく我慢してやってきたもんだがな」と思ってるんじゃないですか。それでもよく耐えて大きくなったもんだわね。

息子は津波の後に3回来たんですよ。親の安否確認とか「休みが取れれば帰ったほうがいいよ」って言われて。地震が来て何日か目に来たんですよ。新幹線も止まってっから、秋田まで飛行機で来て、秋田から盛岡さ出て、盛岡からどうにかにして釜石まで出て。誰かに乗せてもらったりとかしてね、来たんですよ。「吉里吉里の駐在所がやられた」っていうのが情報が入ったんだと。「駐在所が流れれば、(海に近い)家も流れたかな」と思ったんだって。でも、「絶対俺の親は生きてる」と思ったんだって。もうそういうふうに言い聞かせなきゃ。やっぱり亡くなられたらショックだものね。

息子が来たのにはびっくりしました。支援物資を入れたリュックサック背負って。小学校が避難所だから手伝って、いっぱい仲間もいるから、一晩だけ泊まって。帰って行く時でも「人当てにせないんだ、こういう場合は。釜石まで歩いていく」って。釜石の手前で誰かに乗せれたみたいなのね。それが日本人じゃなかったんだって。そして釜石の駅前で避難所に一晩泊まって。お婆さんらの世話になって、おにぎりを貰って。釜石からバスが出て、盛岡まで。(東京に戻るのに)2日、3日掛かったんだって。でもね、帰って行く時、何か寂しいんだよね。「あぁ、この人は警察官なんでなんぼ我が子であっても、我が子でねぇんだなぁ。やっぱり社会のための貢献する人なんだなぁ」。そこで踏ん切りなの、気持ちがね。

元の場所で住みたい―震災前の生活を取り戻すには

吉里吉里、お祭り好きな所。芸達者だわ、みんな。お祭り好きだで。海が近いから、少しでもいっぱい取ってくれば、お互いにお裾分けしてね。活きのいいのばっかし。魚も息したパタパタしたようなのとかね。町は付き合いがとっても良くて、「あぁ、いいな」と思ってた矢先にこういうことが起きてしまって、今はてんでんばらばらなんですよ。お祭りも今年はないこったけどね。神社も少しやられてるもんね。そんな気分になれたもんでないね。それを「元に戻したい」と私は思ってるんですよ。この地域はとってもいいから、本当にまとまってもう1回取り戻したい。もし良ければ、私はあそこに再建します。今まで建ってた家はとってもいいんですよ。息子も「やっぱり、ここがいい」って言って将来的には来るから。家は海から300メートルぐらい。あそこさ行くと疲れて来るの、津波にさらわれた頃はね。歩かれねぇんだもの、がれきがいっぱいで。気持ち悪くてね。だけど今は疲れないもんね。もう慣れてね。あそこいると、とても気持ちがいいの。家はなくても、家の傍さ行けばしばらく座って来るの。「ここが茶の間で」「ここが風呂場で」とかって考えてくるわけ。家がなくても落ち着いて来るの。不思議だね。「この土地が一番良かったかなぁ」とか、「家の周りの人もいがったから、いがったなぁ」「早くここさ戻りたいなぁ」とか。みんなそんな気持ちはあると思うんですよ。近所付き合いもとっても良くてね、喧嘩事とか気まずい思いとか、そんなの1つもないんです。どうしてもあそこさ戻りたいがね。「また津波が来っこたろうな」と思いながらも戻りたいわね。釜石行った人は「戻って来る」って。「やっぱり良かったがな、あの頃が」って、こういうのがハリになって。こんな考えると、今度はイライラが来たり。悔しさだね。「津波が来ねぇばなぁ、今頃はこういう生活しとったのにな」とか。

津波の頃はね、着の身着のままでいたの、裸一貫だからね。「何でもいい」って思ってたの。今は義援金、支援金って出てるじゃないですか。こんな暑いば全然着るものが変わって来るから。でも、なんぼ義援金貰ったとか、支援金を貰ったってね、やっぱり我が家があったほうがいいですよ。やっぱり自分の力でやっていかなきゃ。

若い人が出て行くと大変? それ、それ、それ、それ、それが一番ね。残る人達は年取った人達が多いもんね。こんな場合、若い人達に頑張って貰わねば困るもんね。年取った人にアドバイス貰って若者が動けば、どうにかこうにか行けるんじゃないかな。だから早く仮設でも何でもスピード感で動いて貰って。私はそれ毎日独り言で言ってる。この辺は海から物揚げないと生活が大変と思いますよ。実際、海にがれきとかあるから、どんなものが沈んでっか。船のことをやるったって、漁師の道具って高いんですよ。「それ欲しい」ったって、簡単に手に入りゃせんのわ。時間掛かるんじゃないですか。そんなの考えたもんだかね、いつ復興になるんだかがね、ちょっと暗いがねぇ。でも、漁師は張り切ってる。そんな人達さ見れば「あぁ良かったなと」思うがね。それしかないもんね。もう大変な試練だもの。必ず復興になると思うけども、何年掛かるか。だから動かなきゃだめなんですよね。津波でいつもおっかねぇ目に遭うわけでもないから。私は漁師の子で生まれて来たもんだからね。やっぱり漁師は海から物揚げないと。そうなれば主婦の人たちも稼ぐところが出て来るから。やっぱり海で生計立てていかないっちゃ。海の水が染みついてるんだもの。野菜も魚も三陸物がさ、東京を支えてるじゃないですか。こっちも三陸のためだけでなく、そういう意気込みで考えていかなきゃ。

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