名前は千田信男(ちだのぶお)と言います。昭和24年11月13日生まれ、62歳。3人兄弟だったから、上が姉2人。4つずつ離れてるねぇ。上のお姉さん70で次が66。男と女だから、私たちが小さい時は、隣近所が1個上だったり1個下だったり、同じような年の子がいっぱいいたから、男と女が遊ぶっつーことはあんまりなかったね。
今は家内と住んでる。子供は3人。1番上が女で35歳。中が男、31か。3人目が女で26。1番上の娘は今は名古屋にいるけど、去年結婚して、今年の5月に生まれた、孫。毎日写真を送ってくる。それが楽しみ。まだ生まれて7ヶ月。男が今仕事で静岡にいる。自衛隊なんだけど。去年の8月まで宮城県にいて、9月から静岡に転勤になった。仕事の内容がなかなか同じのがないんで。下の娘は仙台にいて、9月から神奈川さ転勤になって。だからこっちのほうには誰もいなくなっちゃった。家内とは土曜日曜の必ずどっちかは一緒に買い物に行ったり出かけたりはする。私も仕事してるし、家内も仕事してるから。年に1回くらいは温泉さ行くんだよね。1泊で。娘や息子たちが行ってこいって旅行券みたいなのくれたりするから。仕事は高校卒業してからJA農協にいた。退職したんだけど、手伝ってくれないかってことで、今そっちのほうに、臨時で。働かせてもらってるから、有難い。
団塊の世代―賑やかな子供時代―
小さい頃の遊びは男だからチャンバラごっこ。あとは木登り。木の上にやぐら組んでさ、隠れ家みたいにして遊んだ。ここは被災前はだいたい全部で70戸くらいあったけど、小さい集落が5つある。だからその中に、ちょっと離れてたけど7、8件くらい。だから上にもいるし下にもいるし。遊びもやってるし、ケンカはするし。加減知らねぇから怪我させたり。そうすっとほら、親とかじいちゃんばあちゃんたちが謝りに。僕たちの年代は賑やかだったね。今の子供たち少ないからねぇ、小学生はうちの部落に20人くらいはいるんだけど、町内全体が少なくなってきて。俺たちの時なんかもう100人近くいた。だって昭和24年生まれっつーのは多いんだよ。20年に戦争終わったでしょ、太平洋戦争が。21、22、23、24ってワーって生まれたんだよ。団塊の世代だよ。だって今は子供がうちにいるの1人か2人でしょ。俺らの時代なんか1軒に5人か6人っていうのが普通だったんだから。うちは3人で少ないほうだけど。4人5人いるっつうのは当たり前だったの。結局大きいのが小さいのを面倒みるっつう。喧嘩をしつつな。
高ゲタを履いて
中学は50年も前の話だからねぇ。俺がやったのは、卓球と陸上とか。マラソンはいつも上位のほうだったから。50年前ズック買って履くっちゅうのはないんだもん。長靴か短靴。走りづらいけどもねぇ。だから中学校の後半になってからズック靴。だって俺たちは草履とかゲタ履いて行ってた。冬場ももう冷たいとかなんとかっつう感覚ねぇから。だから3年生になると、ちょっと格好のいい奴らは足の高い下駄。高ゲタ履いて学ラン来て。鞄も長いやつを垂らして、肩から提げて。ズック靴のあの生地で作ったような。普通はたすきがけみたいな感じで、それをこう肩だけにかけて。そんな格好で歩いた。3年生の時はもうずっと、靴履いて歩いたことはない。下駄ばっかり。みんなっつうわけじゃないんだけど。大なり小なり女の人が履くような下駄もあったんだよね。そういうの好んで履く奴もいれば、俺は高いやつを履いてた、冬でも。雪はね、今はねぇ、ほとんど積もらなくなったけども、俺たち子供の時は結構積もった。だから、石なんかをぶつけて、雪を落として。あと下駄履いてサッカーした、雪の上で。高校に行ってからは下駄はだめになったけども。ま、楽しかったといえば、楽しかったんだね。
JA大船渡での仕事
仕事は、野菜にやる肥料だとか田んぼに使う肥料だとか、あとは薬だとか、そういうのをいろんな組合さんから聞かれたり、売ったりなんかして。大変なことっていうのはないけど、やっぱり重いから。肥料はまず全部20キロあるから。次々にお客さんがくるとちょっと大変だけど、今の時期はもう寒いから、田んぼも畑もやってないから。若い人たちはやっぱりね、なかなか疲れやすい。要領がやっぱりね。今大船渡市と陸前高田市と住田町と3つ一緒になってるから、JA大船渡っていうんだけど、だいたい300人近くいるんじゃない。60過ぎた人は何人もいないと思うけど。
いろんな人たちが来るから結構話とかするけどねぇ。肥料の使い方だとか、薬の使い方だとか。だから、来る時お客さんがいろんな物持ってくるんだよね(笑)、食べ物。昨日も餅を持ってきて置いてった人がいるけども、俺餅好きだから、俺いねぇ時に置いてったらしいんだけど。「あの人餅好きなはずだから置いてくから」って置いてった、まぁそんなのがちょくちょくある。
鉄砲を持って山歩き
今はほとんど運動はないけど、俺山好きだから山歩き。山歩きってほら、猟師っていったらあれだけど、鉄砲持ってるからねぇ。鹿撃ちに行く。鉄砲は散弾銃っていうのとライフルっていうのがあるんだけど。鹿撃ちに行くのはライフル銃。長さは1m20くらいあるんじゃねぇかなぁ。25、6の時に公安委員会の許可を取ったから。公安委員会で試験受けて、鉄砲を持っていいよっていう。実技と学科と。その他に、今度は猟をしていいよっていう試験がある。狩猟免除っていうねぇ。銃の免状と狩猟免状と、それと毎年1回ずつ許可証を取らなきゃいけない。鉄砲と狩猟のやつは免許と同じで3年ずつ更新していく。この辺にもいるよぉ、ニホンジカ。なかなか人里にはあんまり出てこない。近くへ行ってだいたい100m先のやつを撃つ。上手な人だったら200m~300m離れても撃つ。グループで行くから。だいたい10人以上はいる。だから山を囲んで追い出して。追い出す役は追い出す役、撃つ役は撃つ役。それで解体して撃った人も追い出した人もみんな均等に全部分ける。美味しいよ。焼くとか、生で刺身にして、1回冷凍すればね。場所にもよるけども、大概美味しいよね。一番いいのは背骨のロース。あとはね、後ろ足のもも。
受け継がれる郷土芸能
剣舞っていう郷土芸能あるんだけど、練習したりお祭りに出たり。発表会があるからそこへ行って踊ったりなんだりして、だから年とった人も若い人も一緒になってわいわいやる。ここの部落には、町内でも一番若いのがいるんじゃねぇかなぁ。剣舞を踊るグループは20~30人いるんだけど、年に関係なく集まってドンちゃんやるんだけどね。なかなか今つながりっていうのが少ないでしょ。だからそれで助けられてね、みんなが。だからあと子供たちは子供たちで踊るんだけど。小学生は踊るだけ。笛と太鼓はここ2、3年私たちが行って、生でやってくれないかって言われて行ってるんだけど。太鼓は1つの太鼓を両側からこう。中学校になると太鼓たたいたり笛ふいたり、そっちのほうも。小学校では運動会。4年生5年生全員でやるし、あとは中学校に行くと、これまた郷土芸能が文化祭でやるので。だから、小学校では35、6年くらいなんじゃないかな、教え始めて。中学校は、平成15、6年くらいなんじゃないかなぁ、文化祭で踊るようになってから。だから毎年それさ、私たちが教えに行って。
なかなか表現はしづらいけど、鎧を着るからね。鎧は地区で管理してるから。そんな重くはないけどね。プラスチックだから。北上の鬼剣舞って聞いたことない? 岩手県の北上に鬼剣舞っていう郷土芸能。北上は本当の鬼剣舞。うちらは、念仏剣舞っていう。念仏を歌いながら踊る。ちっちゃい頃から覚えて、受け継がれている。
だからこないだ仙台に行ってきたんだけど、子供たちをつれて剣舞を踊りに。東北子供まちづくりサミットっていったっけ。それに踊ってくれないかって言われて20人くらいで、親子合わせて40人近く行ってきたんだけど。踊れるとも思ってなかったけども、こんな事態になって。鎧だとか衣装関係が幸いにも流されなかったから。遠くまで行ったのは初めて。そんなに出ることはないから。この辺でいろんなイベントがある時だけだからね。幸いに私、今その会長やってるんだけど、みんなの協力でやってもらってるから。でないとね、なかなかできないし。だから、みんなに来てもらって、仕事がいろいろだから、大人の人たちもばらばらで大変だったけど。やるぞーってなるとみんな集まるから。
青年会でどんちゃん騒ぎ
今はあんまり騒がないけど、大騒ぎしたこともあるんだけど。昔はほら、カラオケの機械を買ったの。機械だってあったんだよ。今は売ってないけど、あったの。みんなで出しあって買った。公民館に置いて、それを引っ張り出してどんちゃん騒ぎ(笑)。もう今壊れてしまったから、20年以上も前の話でしょ。町内にもあるところも多分あると思うよ。歌は好きなほうだからね。踊りは昔青年会で踊ったんだけど。青年会って演芸会。若い人たちもいっぱい、それこそ団塊の世代だから。各町内じゃほら、演芸会が青年会が主体であったから。私たち各町内30人くらいずつ会員がいたんじゃないかな。その中で練習したり自分たちで舞台の装置を作ったり。みんなで作った。バックから何から全部。物は自分たちで会費だとか出しあってね。踊りだとか劇だとかバンドだとか。私高校生の頃ブラスバンドやってたから。トランペットやってたんだけど。だからあの、津波、波はかぶらなかったんだけど、2階に置いたから。もう家内は投げるっていうんだけど、いや置いとけって。吹かないんだけど、ありますよ。だからねぇ、歯が弱くなっちゃって。マウスピース。多分そのせいで前歯が弱くなったんだろうな、3年間だけだけど。あと学校卒業してから、バンドを組んでたんだけど。7、8人くらいかな、なんだりかんだりやったねぇ。年老いた時やろうかって言ったんだけど、なかなか揃わなかったからね。
剣舞と虎舞―部落の財産―
会長の期間は決まってはない。年をとったら辞めるっていう身を引くようなかっこうだけどね。副会長はいることはいるんだけど。だからまぁ、今年も踊ってくれないかっちゅうことも言われてたんだけど、なんせ2人亡くなって、今回。その気になれるみんなの元気がねぇ。続けることは続けるんですけどね。ショックはショックでして。道具は揃えてるから。だいたい人数分くらいは揃ってるはず。もううちのほうでも全部大人の分と子供の分は揃えてますけど。300万くらいかかったのかなぁ。まず鎧が主体なんだけどねぇ。だいたい大人1人さ、10万くらいずつかかってる。大人は8人だけど、踊る人数が、これ決まってますけども。それと太鼓が最低でも4人。笛が最低でも4人。その分の衣装全部だし。それさあと子供たち。子供たちも人数30人近くいたから。最低でも25、6はあるはず。だからそれで300万くらいはかかったはずです。今はプラスチックを縫いつけて。北上の鬼剣舞の衣装作ってるとこに頼んで、作ってる。みんながわかってるから、ここの部落の人たちもね。最初はびっくりしてたけど。部落の財産だから。だってもう、作ってかれこれ20年くらい経つけど、まだ大丈夫。
あとは剣舞の他に、虎舞。この辺じゃあ虎舞っていうんだけど。虎舞って言えば釜石が。釜石の虎ともうちの方で踊ってる虎は違うんでね。頭が違う。虎舞は虎なんだけど、町内にもその虎の頭で踊るのが町内会が2つあるんだよね。あとは権現様っていうんだけど。虎舞は3人で踊る。この町内には11部落くらいあるんだけど、全部ある。それだからみんなひっくるめて虎舞。権現様っていう人もあるけど、みんな大概は虎舞っていう。だからうちの方の部落にもある。剣舞はグループで輪になって踊るんだけど、虎舞は3人一緒になって同じ動きを踊る。
世代を越えたつながり
終わった後に飲み会があるから、それもまた面白い。話もはずむから。遠慮なく年下も年上も話をするから。若い人たちが一緒になって飲んだり食ったりするのが最高。若い頃俺たちもそうしてきたから。小学生も中学生の子供たちも、あっちでも分かってるし、俺も町内全部は分からないけど、部落の中の子供たちはだいたい分かるから。声かけあったり。小学校にも中学校にも行って教えたりするから、学校の先生たちも分かるし。だから昔、学校で剣舞で踊った人が学校の先生だったり。教えた子が先生になった。
なかなか子供たちと接する機会がないから、だから剣舞通じて一緒になって話ができるからね。子供たちがいればやっぱ子供たちから元気もらうもんね。ここにはそういうのがあるから、幸いだね。