部落で唯一のお茶畑を守っている

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高田市は自然のものがいっぱいあるので。山の幸もあるし海もあるし…あるものを利用してね、生活の基盤にしていきたいなっていうのが私の思いなんだけど。
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Tokyo Foudation
Geolocation
39.0151207, 141.6294866
Location(text)
岩手県陸前高田市田束地区
Latitude
39.0151207
Longitude
141.6294866
Location
39.0151207,141.6294866
Media Creator Username
Interviewee: 藤原和子さん, Interviewer: 川口圭大
Language
Japanese
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Japanese Title
部落で唯一のお茶畑を守っている
Japanese Description
高田市は自然のものがいっぱいあるので。山の幸もあるし海もあるし…あるものを利用してね、生活の基盤にしていきたいなっていうのが私の思いなんだけど。

自己紹介

私は藤原和子(ふじわらかずこ)です。生年月日は昭和19年8月1日です。67歳になりました。家族は旦那さんと子ども、娘と息子がいますけど、東京とか仙台とかにいます。おじいさんとおばあさんがいたけど、どっちも亡くなっちゃって、今ここにいる家族は69歳の旦那さんと2人だげ。ここ高田市の小友町ってところは出稼ぎ者が多いし、大工さんが多かったんですよ。この辺の大工さんは気仙大工って言って、腕がいい人がそろっでだの。隣もそうだったしその隣もそうだったんです。出稼ぎだから1年中家から出っぱなしで、お盆、正月と5月にしか帰ってこないんですよ。だから普段は一人なんです。津波のときも一人だったんですよ。

私の生まれたところは、一関と高田市の間ぐらいにある矢作町ってところなんです。矢作町は山の方だったがら、山の仕事があっで、小友町(おともちょう)の人達みたいに出稼ぎ者は少ながったね。実家は農家だったんですよ。菜種を植えて油を採ったり、大豆を植えて味噌や醤油を作ってたかな。今と違って家族が食べるものを作ってたね。余れば売るけど。

学生時代はそれを手伝ったり、家の手伝いをしていたんです。クラブとか部活に入らなかったな。興味もなかったな。朝起きたらお掃除して学校に行く。冬休みには炭をうちで焼いていたので、それを入れるカヤを採ってきて、わらじを編むように編む「縄ない」をした。おやつには干し柿とサツマイモとかね。それがおやつだって、それで「縄ない」をする。今日はこれぐらいとかノルマをもらってやっていたね。夏は学校で農繁休業っていうのがあって、桑の葉採りや養蚕の手伝いをするわけ。

子どもの頃はひたすら働かせられてたね。蚕の世話とか牛乳配達をしていました。みんな働いていたから辛いとか感じなかったよ。

デザインの腕を買われ、仕立てた服が雑誌に掲載された

仕事は今は終わり。63歳まで県立高田病院で給食のおばちゃんをしていました。高田市内にあまり仕事がないので。お魚獲れるので、お魚工場とかあるんですけど、病院で働かせてもらいました。きっがけはね、一番初めは違う会社に働いてだったんですけど。おじいさんが脳梗塞になったもんで、それを見なきゃないので辞めたんですよ。会社を休んだらダメな会社だったんで、そこで切られてしまいました。おじいさんの看護をしたんですよ。おじいさんが亡くなって、四十九日も過ぎてから、その当番の話が来たので、温冷配膳、冷たいものは冷たく、温かいものは温かくして患者さんに食べていただくために、おばあさんも元気だったし、給料もいいし働きました。朝は4時頃から夜遅くまで働かなきゃいけないけど、頑張ればいいかって行ったんです。

昔は洋服仕立だったんですけど、でもだんだん安い洋服が入ってくるようになって、皆さん作らなくなってから辞めたんですよ。初め東京にいたんですけど、渋谷の栄通りで働いていたんですよ。目の前は道玄坂。うれしかったことは、モデルさんが着る洋服を雑誌に載せるじゃないですか。デザイナーさんにその洋服を作ってくださいと言われで何回か作ったり、デザインを仕立てる腕を買われ、仕立てた服が雑誌に掲載されたことがうれしがった。でも期日までに出さなきゃいけないときは、朝までやらなきゃいけなかったのが辛がった。でも若かったから乗り切れたね。

津波の後、中里地区の方たちにおにぎりをいただいた

すごいエピソードがあるんですけど、山の方なので五右衛門風呂っていうのがありまして、薪でお風呂を焚いていただいて、入れてもらったんですよ。初めはね、陸の孤島になってしまったんですよ。波が両方から来まして、道路が寸断されまして。陸の孤島になってしまいまして、最初は情報も入らない、物資もない、いろいろ大変だった。4、5日。その時に中里地区の8件の人たちがお米を持ち寄って、100個以上のおにぎりを作ってくれて、その夜からいただいたんですよ。

メタボのカラスで溢れる町

家は全部流れてはいなかったけど、家の中とが汚くなっているんですけど。海の水だけじゃなくて、田舎だがら、浄化槽がないがらみんながした汚物とがも、流されてきてるの。高田市内だけに浄化槽があるがら、この辺はなくて汲み取り式なの。個人で付けているところもあるんだけどほんとに少ない。海の水だけだったらきれいで良かったんですけど、汚物まで流れてきてるから大変なの。

魚工場があって、そこあっだ冷蔵庫の中の冷凍の魚が流れてきて、それをカラスが食べてメタボになって飛べなぐなってるとかあったんですよ、ほんどに。鷹とがトンビとがカラスとがたくさん寄ってきて飛ばないで食べ続けてるがらね、その魚が腐ったりとが汚物とかが全部混ざって流れてくるので、きれいじゃない。ものすごぐ汚い。新築だった家は全壊じゃながったけど、泥とが汚物だらけで、全部床とか剥がして、石灰をまいたり消毒液をまいたの。

一人じゃできないからお金払って、一関の業者さんに頼んで、全部作業してもらったんです。ボランティアだといつ来るかわからないから。塩分とが今は乾燥してるがらいいけど、夏とがになったらしみ込んできて、変えなきゃいげないなって思っでいます。掃除はまだ終わっていないんですよ。ハウスクリーニングとが頼んだんですけど、それでも間に合わないと思います。

最近は、震災の恐怖から、家を高いところに作ることを考えています。

一人の時間を大切に

今住んでいる部落はみなさんまじめで、趣味とか楽しみはない。旦那さんが稼いだお金では趣味はしないの。洋裁してたために、着ない洋服を切って腕カバーとがバッグを作るのが好きだから、家で作ったりしています。旦那さんが69歳ぐらいまで働いていたんですけど、辞めだ方がいいと思っで、辞めだらゆっくり暮らしたいなって思って。家も新築にして、趣味をしたいから1つ部屋をもらって、服を作れるようにミシンを置いて何かを作れると思ったけど、津波でだめになっちゃった。

ショッピングが好きなんです。店があった時はぐるぐる回ったりしてましたけど、今は気仙沼とかに行ったりします。あと一関に買い物にも出かけるんです。買い物は見るのも好きだし、買うとしたら服がな。誰も着てないような服を買います。その洋服が古くなっても気に入ってるがら、なかなか捨てられないでいるんだけど、津波で半分ぐらいになったがら整理できた(笑)。

あと温泉に行ぐことも楽しみの1つ。車でちょっと遠いところとが行きます。温泉は八幡平や須川温泉、花巻の方の温泉に行ったりとが、県外だと箱根とがにも行ったことありますよ。近場でも片道2時間3時間ちょっとかかるけど、そういうところに行って、帰りは道の景色とがを見て帰ってくるんだけど。おばあさんがいたころは日帰りで行ける場所に一緒に行ったりしたんですけど。のんびりと車で一人で運転して、自分の世界でラジオをかけながら行くのが楽しいじゃないですか。お昼はおいしいものを食べて帰ってくる。日帰りで忙しい旅なんだけど息抜きができていい旅なんです。

この部落で唯一のお茶畑を守ってるの

地域は津波来るぐらいだがら海が近いです。海も山もありまして、高田市小友町は高田市の中でも一番暖かいところで、雪もほとんど降らない。1年に1、2回しか降らない地方なので、北の方では採れないという、柚子とかお茶が採れます。自分のうちでお茶の木を植えてあるので、お茶を摘んで、5月になればJAで加工機があるので、お茶自分で加工して1年中飲んでます。

今でもお茶は作ってるんですけど、福島の原発があったじゃないですか。そんで放射能がうんぬんかんぬんで、今年はやめましょうということだったし、私たちも5月の末にお茶の葉を採るんですけど、津波が来てから2カ月しか経ってなかったし、道具も流されちゃったもんですから、休んでもいいかなって思ったんです、毎年。一人でしてるんですけど、剪定もしたりとか、草を刈ったりとかするんですけど、収穫は私も一人じゃ退屈で寂しいから、採った分あげるから一緒に手伝ってと友達を呼んだりとが、一昨年は娘が東京から友達を3人連れてきました。で、家に泊まってお茶摘み体験もしたい、ていうので摘ませて。私が腕カバーとか長靴とか全部用意して、それを履いてやったんですよ。みんな喜んでくれたみたいです。それで田舎料理を食べさせたんですよ。働いていた病院の栄養士の人とかからも、珍しいから摘みたいといって、その人たちが摘みに来たんですよ。自分が摘んだ分の加工代は出すからというので、収穫して加工してがら友達にプレゼントしたりして喜ばれてるんですよ。

私たちの部落にもどこの家にもお茶の木があるんですけど、皆さん20年前ぐらいから買ったものが出回ってくるようになったじゃないですか、みなさん買って飲むことになったので、摘んで飲まなくなったんですよ。この部落では今では私のうちにしかお茶の木はないんですよ。だから大切に守ってんですけど、お茶の木も毎日夏場は手入れしておかないと摘む時に大変だがらね、ずっと続けてやってるんです。旦那さんが退職した時に、テレビとかでは男の人が退職後にぼーっとしてしまうとか言ってるから、そうしないために一緒にお茶摘みしたりするために、守ってるんですよ。あと、自然のものを摘んで飲める楽しさもあるし幸せだから大切にしてるんです。お茶も摘む時にハーブみたいな匂いがあって癒されるっていうのがあるので、守ってます。機械があるうちは、ずっとやりたいと思ってるんです。

自然のものがいっぱい。それを新鮮な形で味わってもらいたい

高田市は自然のものがいっぱいあるので。山の幸もあるし海もあるし、海は復興出来ないけど、お茶もあるので、利用したらいいなと、私の考えで。今はね、養蚕もやらなくなったがら、桑の葉のお茶もできるじゃないですか。柿もあるがら柿の葉っぱでもお茶にできるでしょ。それを販売したらいいなと思うんだけど、自然食品として。そういうのを、あるものを利用してね、生活の基盤にしていきたいなっていうのが私の思いなんだけど。海の物もいろいろある。例えばね、ホタテとがゴタゴタと調理しないで、ホタテの味がするのが好きなんだけど、あんまりホタテの味がしないような料理とがあるじゃない、マヨネーズかげたりとが。そういうのじゃなぐ、素材の味を生かしておしゃれに盛りつけたりして、食べさせた方がいいんじゃないがって、そしたら町にも人が来るんじゃないがと思うんですけど。調理人さんに頼むと何料理だか、ゴタゴタっどなって、これ何? 新鮮どか、新鮮じゃないのとが、分がらないようになってしまうのが多いじゃないですか。それが悲しいなって。新鮮なね、形で味わってもらいたいなって思うんですよ。

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