大切な仲間、家族がいるこのまち

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何か地震、火事あったら、この人が一人暮らしの家行って助けるとかね、決まりじゃないですけどそれがあったんですよ。
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Tokyo Foudation
Geolocation
39.0151207, 141.6294866
Location(text)
岩手県陸前高田市田束地区
Latitude
39.0151207
Longitude
141.6294866
Location
39.0151207,141.6294866
Media Creator Username
Interviewee: 吉田勝幸さん, Interviewer: 佐々木明日香
Language
Japanese
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Japanese Title
大切な仲間、家族がいるこのまち
Japanese Description

吉田勝幸(よしだかつゆき)と申します。42歳です。昭和44年12月2日生まれ。職業は会社員で、製造業。仮設も借りてますけど、今、家を修理して住んでます。1階部分が半壊です。

私の家族

家族は、私、妻、娘、私の母、父、ばあちゃん、6人です。娘とばあちゃんは仲いいですよ。だけどまあ中学生なんで、反抗期というか…。たまーに、家にいたって暇なんで、車でどっかに行くってことはありますけど。今は、高田の施設がなくなったんで、大船渡とか、気仙沼とかあっちの方にウィンドーショッピングしに行きます。買ってあげたりは…そう甘くない(笑)。お母さんのが甘いでしょ、お母さんのが強いし。どこでもそうでしょ? 妻の実家が内陸の北上って所にあるんですけど、そっちの方はしょっちゅう妻と娘で行ってるみたいです。

家族の旅行も年に何回かは行くようにしてます。東北はだいたい行ったけど、最近は温泉。まあこの辺だと内陸の温泉なんですよ。正月は仕事が4日まで休みなので、盛岡の近くの温泉を予約取りました。

普通の生活、でも早く前の生活に戻りたいなって

最近まではね、早番なので4時に起きて5時に出勤してた。仕事は、製造業。電化製品とか、プラスチックの部品の金型、半導体の金型の製造。うちの工場は大船渡にあるんですけど、従業員は40人くらいかな。全部の工場だと200人くらいで。あとは北上とかにある。4時に起きて、食欲もないのに無理やりご飯食べて、テレビ見て5時になったら出かける。一人で出て行く感じで。普通の生活でしたけど、震災の時は早く前の生活に戻りたいなって思ったんですよね。

地元の仕事に

この仕事は私は工業高校卒業してからずーっとですよ。最初は大船渡に工場がなかったんですけど、地元に工場できるってなったんで高校の先生に勧められて。学生時代は特にやりたいことってなかったけど、地元っていう希望はあったから今の会社に入ったのかもしれないです。

一応週休2日です。でも今は製造業はだめですね。震災の影響というより円高の影響ですよね。もう外国で作った方が安いんで。残業は今は厳しくなって、会社が許可しないと残業できないんです。注文来るのは急ぎの仕事だけで、その時は忙しくなります。でも全体をならしてしまえば暇な方だと思いますよ。

汽車が好き

昔は汽車に乗るのが好きだったんで、こっちの方は電車っていうより1両2両の汽車なんだよね。今は線路もなくなっちゃったけど。高校卒業してからは、結構一人で北海道とか行きましたよ。青函連絡線が最後の日に行ってきました。おととしかな、娘と仙台に、車両基地があるんで見に行ったり。娘は仙台に行くっていうからついてきただけだろうけど(笑)。

マラソン

ジョギングというかマラソンは、運動のために、やってんですよ。会社から帰ってきてから、たまに。3,000人くらい出るマラソン大会に申し込んだりとか。それに娘連れて行ったら、娘も長距離走るようになって。学校の周りを走ったりしてて、学校の中では速い方。

色々、年代別とかもあるんで、10キロもあれば3キロもあれば、フルマラソン、ハーフとかもある。東京マラソンっていつかは出てみたいなーと思うんだけど。まだ10キロまでしか走ったことないです。高田の松原の堤防があって、あそこが走りやすいんですよ。松林の中に2キロくらいのマラソンコースもあったんですよ。今はもう海の中ですけど。たまに車で行って走ってきたりしました。マラソンに出ると、やっぱ知ってる人も結構いますよ。

走んなくなったせいか、結構メタボになって、健康診断でひっかかったの(笑)。保健師さんのカウンセリング受けました。カロリーを減らしてくださいって…。血糖値が高かった。

娘は中学3年生です。学校は地元の小友(おとも)中学校。中学校はもう全壊かな。だから今は小学校を間借りしてます。生徒がそんなに人数いるわけじゃないので、1階で中学生が3つ部屋使って、小学生が2階3階。今中学校が35人くらいしかいないです。うちの娘の同級生は12人しかいない。女子は5人だけ。小学校は1階が水に浸かって、ボランティアさんとか来てもらってきれいに掃除してもらいましたけど、塩水に浸かったから最初は電気つかなかったんですよ。そこで娘たちは勉強してたんです。勉強はまあ、する方なのかな。私の娘だとは思えないくらいするかもしれない。

娘のペアには勝てなかった(笑)

娘は部活はソフトテニスです。部員は少ないですよ。だって生徒が全校で36人だから。部員は9人かな。私も高校の時は硬式テニスだったんですよ。松原に、野外活動センターっていう岩手県がやってるテニスコートがあったんですけど、たまーに、娘をそこに連れてって遊んだりしてました。あと、中学校のテニスコートで親子交流会っていって毎年試合をやるんですよ。やっぱ娘のペアには勝てなかった(笑)。1年、2年、3年のペアと、親のペアとでトーナメントをやったんです。娘のペアが1位で、俺が2位。最初の5分くらいは娘に勝てると思ったけど、スタミナがなくなってきたからね…。

娘の将来は…一人娘なんで、親のすねかじんないで自立してほしいかな。娘は、小さい頃は花屋さんだパン屋さんだって言ってね。今は、現実味になってきたみたいで。医療系なんですけど、助産師とかね。まだ今地元の高校か内陸か迷ってるみたい。今、高校卒業してすぐ就職ってだんだん少なくなってきてるから、最低でも専門学校、短大には…。

大学っていったってもうここから通える大学はないので。盛岡とか、岩手大学とか、内陸に行かないと。まあ、どこに行くんだかねー。高校は、地元なのかなー。本人は内陸の方に行きたいような感じです。寮でもとかお金かかりますよね。そう考えると高校は地元でしょ、って私は言ってるんですけどね。

妻の仕事

奥さんとは、一応、社内恋愛で。私の1つ下なんで、出会ったのは私が会社に入って1年後。19歳の時。結婚したのは25歳だったかな。妻は今、ボランティアの会社入ってます。震災後にね。今日も、移動図書やってますよ。岩手事務所っていうのが遠野にあって、そこから、沿岸の大槌とか山田とか大船渡、高田とかに回って、移動図書。7月頃からやってます。今日は大船渡行って、モビリア(今は仮設住宅があるキャンプ場)に。紙芝居読んだりもしてるって言ってました。妻の趣味が読書だったからうちの娘も本読むようになって。結構図書館に連れて行って本借りたりしてましたよ。この前なんてハリーポッターの英語版読んでたよ。辞典で調べながら。大したもんだなと思った。

3月11日

当日私は会社行って仕事してて、地震だっつってみんな外出て。地面がすごく揺れてた。でもうちの会社は大丈夫でした。

妻は、毎年3月頃から養殖のワカメを茎から採る仕事をやってて、ちょうど今年は、地震の日からその仕事始まるはずだったんですよ。だから漁港の近くにいてた時に地震が来て、山に上がれってみんなが言うのを、妻は車で自宅の方まで来て、それから逃げっぺって言って、車を置いて、犬を連れて逃げてきたんですよ。うちの田んぼもあったんですけど、今はがっぽり穴あいて沼みたいになってます。

6月、7月まではモビリアのセンターハウスの所で寝泊まりしてたんです。広い所にブルーシート敷いて、その上に布団敷いて寝てたんです。雑魚寝状態で寒かったです。当日はもう真っ白です、雪。

「娘どこにいる?」

その日の夜はもう真っ暗でなにがなんだか分かんないから、車ん中で寝てました。で、知ってる人がいたから「娘どこにいる?」って聞いたら「公民館にいます」って言うから行って、そこでやっと会った。

中学校の生徒は、地震が来てから小学校の校庭に避難して、津波来たもんだから逃げろーって高台に。その日は公民館に何人か泊まったみたいです。うちの娘は当時、次の日が1つ上の人の卒業式だったんで、生徒会の役割があって学校に残ってたんですよ。生徒会の人以外は自宅の方に帰ってたんですけど。その帰ってきた生徒の中で、高田の町内の店に行ってそこで8人くらい亡くなった人もいました。学校にいればね…。

家はどうなったかって思って見に行こうとしたって、車は通れないからがれきの中を歩いたし、娘もやっぱショックだったみたいね。同級生3年生2人亡くなったから。うちの向かいの幼馴染が亡くなって、それが一番ショックだったと思う。娘は、あれから地震が怖いんで、最初一人で寝てたんですけど今はお母さんと寝てます。

モビリア仮設住宅

モビリアって、有名な避難所だったんですよ。だから次から次へと支援物資が届きました。それの整理が大変でしたよ。最初は、市の方から数を把握してくださいって言われてたんですよ。最初は書こうと思って書いたんだけど、できるレベルじゃなくなってきて。

この服も支援物資です。3月だったんで、暖房器具とか冬物が結構多かったんですよ。他の避難所に比べてよかったと思います。最初は家に戻りたい戻りたいと思ったけど電気もこないしね、電気来たのが6月か7月くらいだから。うちは電気来たのが陸前高田市の中では最後のほうですよ。モビリアの電柱は大丈夫だったんで、早かった。トラックの発電車が来たので、ここらは一番最初についたかもしれない。避難所でテレビも見れたしね。ただ、自宅の方は周りがもう電柱なんか倒れてたから。

手作業ですよ、何もかも

最初は道路ががれきでなくなったから、避難した人たちで行って、がれきをどけたりしました。電柱が倒れてるのはどうにもなんなくてね。大きなハンマーを持ってきて砕いて。手作業ですよ。道路がないことには重機も持ってこれないわけだから。手作業で地域の人で何もかもやりました。後は、ボランティアさんが来るようになったんで、やってもらったり。最初は道路でしたよね…。

仕事は、だから1ヵ月ぐらいは休みでした。避難所にいて、避難所の仕事してたり自宅の掃除。縁の下の板とって泥とったりしました。そん時は必死でした。

陸の孤島

ここは陸の孤島だったんです。急病ですぐに病院行かせなきゃなんない人いて、芝生があるんで「H」、ヘリポートの「H」って白線で書いたんですよ。石灰がたまたまあったんで「H」書いて丸書いて、「SOS」って書いて。ダメ元で一応書いたんだけど。まさか来ねぇべなぁっと思ったら、来たんです! 手振りました。まさか降りると思わなかった。夕方1回降りてもらって、まだまだいるんでって伝えて、次の日とかも降りてもらえました。

被災した次の日はもうすごかったですよ、ヘリは飛んでるし飛行機は飛んでるし。で、宮崎県の消防署の人たちが、10台くらい来てくれて。消防士たちが宮崎から来たんですよ! 車で3日くらいかけて来てくれて。1週間ぐらいいてくれました。ほんと全国から来てもらったよね。北海道のヘリが降りたりしたしね。

今年は全国のみなさんのおかげで

娘がね。招待で旅行に行って来たんです。B&G財団っていうのがあるんですけど、8月に小笠原諸島の旅行の募集をしてたので応募したら、通ったんで。本当は3月実施だったから中止になったんだけど、延期でもやるってことになって。震災地域は招待で行けてたんです、全部で6日間。ただ、片道で1日半かかるんですけどね。私は盛岡まで送って行ったんですけど、娘は楽しんできたみたいです。

今年は、色々援助してもらったおかげで、最初は4月だった修学旅行が延びて、8月に小笠原に行って、9月に東京に修学旅行。ディズニーランドとか、神宮球場で野球観てきたみたい。10月には名古屋市のご招待で、被災した中学校が招待されて名古屋に行って。

珍しい食べ物食べたり、帰ってきたら紙袋1つ、お土産でもらったってきてね。名古屋市の人が支援してくれて。今年はね、皆さんのおかげでねぇ、なんか、子どもたちは良かったみたいです。

被災してる人、してない人

岩手県内も、被害はこの沿岸沿いだけなんですよね。内陸の人とはやっぱ考えっていうか、違うんですよね。会社でもそうですよ。同僚で亡くなった人はいないですけど、家族が亡くなった人は結構います。私の工場でも、被災した人と、してない人とじゃ違いますよ。仮設から通ってる人もいるわけだし。

東京とか、関東の方は放射能が放射能がって騒いでますけど、当初は、電気もないから川で洗濯してたんですよ。川はまあ、きれいですけど、放射能流れて来てるかもしれないじゃないですか。実際今もそうですよね。畑のもの、食べてるから…。お客さんに売るものは、放射能ちゃんと測って売ってるかもしれないけど、ここらへんで自分たちが食べるのは、そんなの気にしないですよ。子どもいたってそこまでは…。

田束剣舞

ここは田束(たつがね)部落っていって剣舞(けんばい)っていう踊りをやってるんです。昔からの伝統で、我々の時代から小学校で踊ったりして、5年生、6年生くらいでみんなやるのかな。この地元の人は知ってる。

中学校の文化祭とか教えに行ってるんですよ。我々も本当は行かなきゃなんないんですけど仕事があって行けないんで、自営業してる人とかが教えに行ってます。中学校の文化祭でその剣舞っていうのを踊るし、小学校の運動会でも毎年やる。

やっぱ若い人が来ないと大変なんですよね。お面かぶったり鎧つけたりなんだりするんで、きついんですよ。全部で踊り手は8人。あとは太鼓いたり笛いたり。内陸では有名な鬼剣舞とかもあって、獅子舞みたいなやつでここら辺では虎舞って言うんですけど、その虎舞をやってる所も結構多いんですけどね。で、ここら辺の部落は剣舞なんですよ。若い人がいないと世代交代ができないですよね。大変なんですよ。学校で教えてますけど、田束剣舞って、地元の人だけなんで。まあ、学校の人数も少なくなってるし、地域の若い人の人数も少なくなってきますから。

今回の震災で踊ってるメンバーも何人か亡くなってるんですよ。この地域は五年祭っていう祭りが神社神社にあるんですけど、5年に1回お祭りをやるんです。その時に、うちの地域ではその田束剣舞っていうのを踊ったりしてます。神社が3ヵ所くらいあるんで、2年に1回くらいになる。あとはまあ、芸能発表会じゃないですけど、そういう、気仙地区、高田とか大船渡の、そういうイベントがあれば呼ばれて集まって練習したり。その練習があれば飲み会もあって。

何かあったら「集まってけろ」って言ってみんな集まって

月に1回定例会っていって飲み会あるんですよ。眞くんっていうのが30代で、上は50代。飲み会は剣舞のメンバーだけってわけじゃないんですけど、地域の飲み会メンバーみたいな感じです。剣舞のメンバーもあり、定例会のメンバーもあり、何かあったら「集まってけろ」って言ってみんな集まって、手伝ったり飲んだりね。

近くに工務店やってるところがあるんですけど、そこの休憩所でやります。十何人くらい集まるかな。

飲み会は会費制で、飲み食いは自分たちで作るんですよ。まあ、眞くんが作るんですけど。あと、積立をして年に1回旅行に行く。その旅行は1ヵ月くらい前にやったかな。私は行けなかったんですけど、函館に。お土産はまだ。お土産話しかもらってないなぁ。だから、そういうのがあるから小友町は他の部落よりはまとまりはあるのかな。だから、避難所なんかでもね、まとまりがあって。まあ、上の人がいて、「○○してくれないかな」とか言えばみんな動くしね。

一人で住んでるお年寄りも結構いるけど、例えば、幹夫さん(親戚)が民生委員やってるんだけど、何か地震、火事あったら、この人が一人暮らしの家行って助けるとかね、決まりじゃないですけどそれがあったんですよ。今回も幹夫さんが、仮設でもたまに見回りとか、その役目で動いてました。

海の幸

眞くんは漁業やってるんで、定例会があるって言えばカキ持ってきたりね。カキ食いてえなぁ、今年、まだカキ食べてないんですよね、私。ウニとかカキとかねぇ。地元の人は、知り合いで漁業やってれば、「もらったんで食べてください」って持ってきてくれたりね。だからサンマとか獲れる時期になれば、サンマ買うことないですよ。もらうんですよ。この地域の人はだいたい、ストッカーっていって、冷凍庫持ってるんですよ。魚とか入れといて、食べたい時には解凍して食べるっていう。だから今回震災の時も、冷凍庫でストックしてあったんで、持ってきて食べれるものは食べたりしてたんです。

海の幸、食べたいっすねぇ、やっぱねぇ。だって今、海の中にがれき以外何がある? 車から家から、たぶん人間も。養殖も今年は無理だろうけど、来年の準備とかね。ただ、養殖ってすぐ出来るもんじゃないんでね。ワカメでも種付けやっても、来年は食べれるのかなぁ。

この土地に住み続けること

高台移転っていう話が今あるんです。造成は、市とか県でやってくれるんだけど、高台移転の造成してもらうと、今住んでる家って、もう住めないことになるんですよ。うちは一応家があるので、工事して直したんで…。住むしかないんですよね。それがね、全部流されてたら、ね、あきらめがつくじゃないですけど…。でもそのうち移転するしかないんですけどね。場所としては、ここは実際津波来たからね、考えないと。

うちの本宅は平成元年に建てて、離れの方は、4年ぐらいしか経ってないのかな。実際うちは、今ある家より、少し下の方にあったんですよ。で、昔チリ地震津波があったんですけど、その時、昔の家が流されたんです。父親のお母さんは、流されて亡くなりました。で、今の家に来て、大丈夫だなと思ったら今回もね…。同じ土地に住むのは、恐い人は恐いでしょうけどね、実際同じことの繰り返しで。でも、今は、建てたばっかしで住める家があるんでね…。でもうちの周りはなくなったわけなんですよね。実際ね。先の事はまだ考えられないです。うちはまだ家がありますけど、流された人はこれからどうすんべって。流れた人は大変ですよ。

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