親父を見て大工に。地域活性のため色々やりましたね

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今の大工は、電気のない国に行ったら大工できないんだよ。
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Tokyo Foudation
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岩手県陸前高田市田束地区
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Interviewee: 佐藤忠男さん, Interviewer: 金井千春
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Japanese
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親父を見て大工に。地域活性のため色々やりましたね
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本名と芸名

名前は佐藤忠男(さとうただお)です。昭和8年4月25日生まれの78歳です。住まいは陸前高田市小友町(おともちょう)というところです。家族は、妻と娘と娘の夫と孫たちがいます。孫たちは出て行って、現在は家に4人で暮らしています。

えーと、仕事は建設業かな。今は仕事は引退して少しばかりの野菜作りをやってますね。父の代から大工をやっておりましたけれども、32年前の昭和55年に事務所名を川口工務店と命名したんです。その訳を話しますと、祖々父の代の明治18年に、我が家が海岸の山際で小さな川の入り口に家を建て暮らしていたところ、誰が呼ぶとなく、「川口のおじさん」、「川口に行って来た」とか、自然にみんなで川口と呼ぶようになり、川口と言う屋号になったんです。ところが家を建て5年後の明治23年に、大雨による土砂崩れで家が倒壊してしまい、現在地に移って川のない所で生活しているのに、今でも川口と愛称されておりますよ。その後ずーっと、私を呼ぶ時は佐藤と呼ぶ人はなく、川口とだけ呼ばれますし、小友町内に佐藤という家の名の建設業が多いということもあり、我が家の工務店は川口工務店と名付けました。そこで冗談めいた自己紹介の時「本名は佐藤ですが、芸名は川口と言います」などと言うときもありますよ。

気仙大工は何でもやるよ

私の工務店では造成から全てやってるんです。

この陸前高田あたりの大工さんは気仙大工っていうの。それはね、現在の陸前高田市、大船渡市、住田町は気仙郡と言いまして、その当時の住所は岩手県気仙郡小友村であり、その気仙地方に住んでいるから気仙大工ということにもなるけど、そうでもないんだよね。

国内で気仙以外の地方では木材を扱う職業は分類されていて、建具職、家具職、指物士、彫刻士、下駄職、宮大工、型枠大工、家大工等々があって、現在でも分業して職場を持ち仕事をしていますよね。気仙大工には舟大工と家大工だけが分業となってはいるけど、さっき挙げた仕事は何でもできるし、総じてなんでもこなすのが気仙大工と言いますね。だから私は下駄とか椅子も作れるし、箪笥も作れるよ。

己の仕事、大工への道

小学校を終わり、新制中学となり、中学2年生を終了して父と一緒に仕事に付いて歩いたね。ある時は、大工の仕事をし、時期が来ると百姓になり、今度は次の家を建てる材料を切りに山林に入り木挽きをし、次は丸太の運搬、次にそれを製材する、その次は漁業、のりの養殖などなどで、何が本職だが分からない家業をやって育ちましたよ。

今の大工は、電気のない国に行ったら大工できないんだよ。だって、全部の道具が電動で、電気が必要だからさ。だけど震災後から10日か20日くらいだったと思うけど、電気が来なかったんですよ。お風呂もガスも出ないしよ。そんで薪を燃やそうと思ってとノコギリ使おうと思っても、電気ないからできなかったんだよ。

3月11日は来客の対応中だった

3月11日2時46分頃、突然震度7の大地震発生。その日、大船渡市赤崎で漁業を営んでいる志田さんが家を建てる相談に来て、話し中だったよ。地震が収まったとたんすぐに志田さんが「津波が来る」と一言発して、顔色を変えて車に飛び乗り帰って行ったよ。

専務で設計を担当する我が家の息子(娘の夫)が建物を見回りに行ったはずなので、建物と一緒に流されたのかと心配していたよ。

私は森崎という23世帯の小さな町内会の班長でもあり、前民生委員と言うこともあり、被災者全員を避難させる必要がありました。道路はがれきの山で歩ける状態ではないので、山の藪をかき分けながら1ヵ所に集まってもらい、仕事で出かけている人は別で、家にいる人が43名全員集まったのでモビリア(仮設住宅になっているキャンプ場)まで徒歩で移動を始めました。「被災していない方々は、毛布、タオル、衣類等を古物でもいいからいっぱい貸してください」と呼びかけながらモビリアまで移動しました。

モビリアには行政区9区の皆さんも集まっていました。田束(たつがね)部落会長もいるし8区の区長、9区の区長もいるので、万が一事故発生した時は部落会長が対策本部長になると取り決めがあるので、私の役目はここまでとし、後は各長の方々に協力しながらその下で動くことにしました。

田束念仏鎧剣舞

陸前高田市内に郷土芸能が16種類もあるけれども、一番活動しているのは私共の田束剣舞です。田束剣舞は田束部落にある伝統芸能なんだけども、他にも小友町には10の部落があります。そんで田束部落には田束聖観音という観音様があり、奉っている観音堂もあるんです。その名を借用して、この地域の部落を田束部落と言うんです。

昔あった剣舞は一時途絶えてしまい、誰も分かっている人はいなかったようで、ただ衣装や小道具、鎧らしきものがあったので、昔剣舞を踊ったんだろうなぁ、ぐらいにみんなが思っていました。

ところが田束観音の御開帳がある時のこと、大正5年に「念仏鎧剣舞で良かったら教えるよ」と剣舞指導の申し入れがあり、その当時の田束の若い青年有志に教えて踊ったのが始まりなようです。それからは、田束念仏鎧剣舞は方々で出演するようになり、平成6年2月には陸前高田市の無形民俗文化財の指定を受けました。

昭和51年から、小友小学校の5年生6年生50名くらいは、春の運動会に剣舞を踊り、平成5年からは中学校の秋の文化祭に、笛、太鼓、踊りを全部マスターし出演しています。田束地区の盆踊りには大人も子供もお稽古をし、小学生は鎧を付け、刀を持ち踊り、中学生は笛と太鼓で勇壮に出演すると、お父さんお母さん、じいちゃんばあちゃんが大拍手でお花の上りも良いようです。こうやって後継者育成にもみんなで精を出し頑張って汗をかいておりますね。

小笠原流礼法

礼儀作法の話なんだけど、小笠原流礼法っていうものがあるの。幕末からこの地方に伝わったようですね。うちの祖々父は1873年、明治5年にその向きの師匠に弟子入りし、師匠と一緒に気仙管内の1集落に1週間から2週間泊まり込み、小笠原流礼法を15名から30名前後の男女で、12、3歳から20歳前後の若い人たちに指導して歩いたようですね。そして1935年、昭和10年に亡くなる前日まで指導を続けたようです。ただ、その時の講習は途中でやめてしまったと、おふくろから聞いたことがありましたよ。

私も若い時は、父に引き連れられて婚礼とか仏事に付いて歩き、お寺の小僧が習わぬ経を読むと同じように、見様見真似で少しばかりかマスターしたようなつもりで指導講習に入ったこともありました。けれど今考えてみると、適当なことを思い切ってやったものだと、反省することが時々ありますね。

小・中・高の学校からたまに依頼があったりしますよ。他にも中央公民館の事業活動の中に、日常の作法という成人教室があり、実技講習、口話講習など月1回程度ありました。ですが、これからあと4、5年はないと思いますよ。4、5年経てば私も動けなくなるし淋しくなるね。

老人クラブの運動会

老人クラブへの加入を勧められた時は、老人クラブかぁと思い、本当はガッカリしましたよ。けれど、クラブ加入を勧めに来たのは同級生だったので、同級生曰く「おれは市老連(陸前高田市老人クラブ連合会)の会長をやることになったし、運動会は何度も最下位だから会員加入して盛り上げてけろや」とのことでした。ということで、同級生に協力する心算で入会しましたね。

運動会で私は80m競技に出場しました。スタートラインに立てばこの人には勝てるなと分かるような気がするね。同じ年代であれば勝てる自信がありましたよ。77歳で65歳以下に出場した時、勝てるわけないといっても人手がいないので挑戦して出場してみたら、見事に一等賞でした。お蔭様で小友チームが優勝し、前代未聞の成果を挙げましたよ。翌年は前年度優勝チームから選手宣誓が私の出番となり、ユーモアと笑いを入れて競技に入り、この年も優勝旗を持って帰りましたね。

もう一つの楽しみ、演芸会

せっかく老人クラブに入会したのだから、演芸会をやろうかという話を持ちかけられ、小友町内の3つの老人クラブが一緒になり実行委員会を立ち上げ不肖、私が実行委員長を仰せつかりました。そこで次の項目の案を出しました。

・踊りは昔懐かしい股旅もの、マドロスもの、そして現代風の踊りから1つずつ。

・踊り以外の手とか浪曲、三味線のようなものを1つ。

・カラオケは1クラブ2曲とする。

これを各3クラブから全部出演させることとし、何か不可能な種類があったなら可能なクラブに頼むことにしました。1クラブから8曲、3クラブで24曲。前後のセレモニーを入れて朝10時から午後1時半までかかり、無事に大盛会に終わることが出来ましたよ。

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