D.L(50代)

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Testimonial
Geolocation
38.434332, 141.3028682
Location(text)
宮城県石巻市
Latitude
38.434332
Longitude
141.3028682
Location
38.434332,141.3028682
Media Creator Username
SS
Media Creator Realname
千葉直美
Scope
One Page
Language
Japanese
To
From
Place of Residence
宮城県石巻市
Media Date Create
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Japanese Title
D.L(50代)
Japanese Description

朝顔の花は咲く 2021年10月1日 2022年1月30日 D.L(50代) 数年ぶりに電話でD.Lさんとお話ししました。一度しかお会いしたことがありませんが、ずっと聞き手の私の心に存在していました。電話の向こうの彼女の声を聞き、なつかしさが こみあげます。出会いとは、そういうものかもしれません。直接、会った回数ではなく、気になる人というのは、なぜか心から離れません。 --- 「あの日は石巻の市街地にいました。電柱が激しく揺れ、立っていられませんでした。息子は小学3年生(9歳)で学校にいましたから、絶対、安全だと信じていました。しかし、津波にのまれて犠牲になりました。すぐには遺体が見つからず、夫は徒歩で探し回りました。 あの日、何が学校であったのが真実を知りたくて裁判に加わりました。(2014年)子どもたちは、校庭に50分以上も留まり、どんなに怖かったか。裁判をするかどうかは悩みました。学校が子どもたちを避難させれば、助かった命なのです。『なんで、死ななくてはいけないのか?』。くやしかったです。先生達が、助けようとして一生懸命、何かやってくれた結果なのでしょうか?どれほどの努力をしたのかわかりません。裁判には勝ちましたが、嬉しくありません。命が返ってくるわけじゃありませんから。息子は9歳と数か月の命でした。人懐こくおしゃべり好きで、みんなに好かれていました。2021年8月で20歳になりました。どんな大人になったのでしょう。成人の祝いに親せきがケーキを持ってきてくれて、お酒が飲める年になったのだからとビールも持ってきてくれました。でも私にとっては3年生でストップした命。いつまでも子供でいるのです。 祖父が、孫の乗って帰ってくるはずの学校のスクールバスを待つため、バス停まで迎えに行きましたが、バスはきませんでした。波をみたそうです。 2014年に、朝顔の種を蒔きました。震災後しばらくして、息子の机の引き出しの奥から見つけました。位牌の所にしまっておいたのですが、3年後に蒔きました。裁判の時で、 がんばらなければと思い、息子の力をかりたかったのです。赤紫の花が咲きました。夫は、息子の写真をいつも車に乗せていて、一緒にあちこちに連れて行きました。最初から二人だけの夫婦ならいいけど、年をとってから授かった息子が急にいなくなったのです。丈夫に成長してくれました。産んでよかったと幸せでした。生きていてほしかった。くやしい。私の夢にはでてこないのですが、夫の妹には出てくるんですよ。 夫は兼業農家で、仕事の合間に田んぼもしていました。息子も時々手伝っていました。長男として田んぼを守らなくてはと思ったかもしれませんが、私たちは息子には将来は好きなことをしてほしい、いろんなことを見てほしいと願っていました。でも、年取ったら世話してほしかったかなぁ。」 --- D.Lさんは、ずっと涙声で語ってくれた。でも、力強いエネルギーが電話の向こうから響いた。2011年3月から時が止まっている彼女との会話。一度は直接会って、二度目は、こうして電話で。聞き手の自分は、この11年間(2022年現在)、何をしていたのだろうと立ち止まる。ずっと同じ場所に立っているのかもしれないと、ふと思った。 もうすぐ、また3月11日がやってくる。

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